「18号管理所」は収容者を奴隷的に使用できるため、人民保安省という国家警察機関の物資補給基地の役割も果たしている。このような利権のために、党と警察機関が一体となって「管理所」を運営しているのである。
一九九五年七月、「18号管理所」の一部が一般社会に戻された。革命化機関である「管理所」が社会に戻されるというのは、特別統制区域周辺の隔離鉄条網を撤去して、その区域を一般社会の行政機関の管理下に置くという意味だ。
それまでは得将里、鳳昌(ボンチャン)里など、いくつかの行政区域が「18号管理所」の中にすっぽり入っていたが、この時その一部である得将地区が平安南道北倉郡の人民委員会の管理へと移った。
その際、統制区域として残った鳳昌地区のみを取り囲む新しい鉄条網が一周張り巡らされた。
鳳昌地区には炭鉱が九か所あると思われる。
鳳昌地区は、遂安谷、サンリ谷、リョンドン谷、酒工場村など、大きく四つの地区に分かれる。
鳳昌地区の中心は「ホンコン村」と「セマウル(新しい村)」である。この二つの村は隣接しており、平壌市内にあるような立派な建物が立ち並んでいる。「ホンコン村」とその周辺の広い地域は全て、国家保衛部(情報機関)「14号管理所」だった時代にでき、とてもよく整備された所だ。管理所の幹部たちが住む家もある。
一九七九年、大同江(デドンガン)以南の地区が社会安全部(今の保安省)所属「18号管理所」となり、北側地区である价川郡側だけが 「14号管理所」として残ると、14、18号の二つの「管理所」は大同江を挟んで互いに向かい合う形になった。私がいた18号から見ると、あの身の毛もよだつ保衛部所属「14号管理所」が大同江のすぐ向こうに陣取っていた。六〇年代には、かの金昌奉(キム・チャンボン)(注2)もそこにいたと言う。
※衛星写真から探すと「18号管理所」のあった鳳昌の位置は東経一二六度四分五一・九五秒、北緯三九度三五分四・四四秒だと推定される。
しばらく前に人権蹂躙問題で朝鮮に国連調査団が入ると、突然、「管理所」を減らす措置が取られた。
この時、咸鏡南道徳成(トクソン)郡にあった人民保安省「第21号管理所」がここ「18号管理所」に統合された。その時点で「解除」(注3)されていなかった人々は全員、21号から18号に移された。(証言者は、国際社会の人権圧力のことを「調査団の朝鮮内視察」と認識しているようである。本誌発行段階まで、国連の人権査察は実現していない。)
二〇〇六年、内部で事件が頻発して何人かの脱走者がでるなど「18号管理所」内が混乱したことがあった。
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