◆陸軍中隊と群衆が中国人労働者たち200人以上を殺害
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災は死者10万5000人という惨事となった。その直後、混乱の中で、「自警団」と呼ばれる一般の人々や軍の一部によって数千人ともいわれる朝鮮人が虐殺された事実は、中学の教科書にも記載されている。ネットで読める資料としては、内閣府中央防災会議のHPで閲覧できる報告書「1923関東大震災第2編」の第4章が正確でコンパクトだ。
虐殺の引き金となったのは、「朝鮮人が井戸に毒を投げた」「朝鮮人が暴動を起こした」といった流言蜚語だった。それを信じた人々が、朝鮮人を襲ったのである。流言蜚語も虐殺も、もともとあった民族差別の産物だった。
ところでこのとき、一部の地域では中国人労働者も襲撃対象となっていたことは、あまり知られていない。
南葛飾郡大島町(現在の東京都江東区大島)付近には当時、中国人労働者が集住する宿舎がたくさんあった。千数百人ほどが暮らしていたようだ。建設現場などで働く彼らの多くが、浙江省の青田県という、貧しい農村地域から来日した人々だった。
震災から3日後の9月3日午後、その大島町で、陸軍中隊と群衆が一部の宿舎から中国人たちを連れ出して虐殺するという事件が起きたのである。当時の警視庁外事課長の報告によれば、その数は「300名ないし400名」。少なくとも200人以上が殺されたようだ。先述の内閣府の報告書は、これについて「一件の事件としては震災時に生じた最大の殺傷事件」だと指摘している。
背景には、低賃金で働く中国人労働者に対する、日本人親方たちの反感があったと推測されている。各地で朝鮮人殺害が公然と行なわれる異常な雰囲気の中、その反感のタガがはずれ、虐殺に行き着いたのだ。
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