*綿井 あの散髪は象徴的な光景だと思うんです。散髪自体は普通でも、まわりを厳重に護衛している。自衛隊も給水する時、武装して警備すると、間違いなく緊張します。そうするとバグダッドにいる米軍兵士と変わらない。自衛隊も、銃を手放すことはできなくなります。
銃を持っている人間は殺す側でもあり、殺される側にもなるコインの裏表なんです。その怖さを自衛隊員はわかっていても、一般の日本人たちはイメージできていない。同じことをやるにしても、軍隊がやるのと、民間人がやるのでは現地の人のとらえ方も変わります。いま僕の家の前で水道工事をやってるんですけれど、たとえばそれを軍人がやって、厳重な警戒態勢を敷いていたら、それはやはり周囲は不安を感じますよ。
イラクの人たちは日本人にすごくいいイメージを持っている。中東全体でみてもそうです。湾岸戦争のとき、日本はカネだけ出して血を流さなかったと政治家は言います。でも、イラクの人でそんなふうに思っている人に、僕は出会ったことはありません。むしろ、日本の技術力を認めたり、ヒロシマ・ナガサキから立ち上がったことなど、評価が高い。自衛隊を派遣したら今まで積み上げてきたものは消えてしまうでしょう。
*野中 結論としては、自衛隊員を送って殺す側にも、殺される側にもまわるなというということだよね。現地の人が巻き込まれるような状況もつくってはいけない。
*綿井 自衛隊が行くことで、僕らのようなジャーナリストも身の構え方が変わってきます。軍隊を送っているアメリカのジャーナリストはすごい緊張感ですよ。自分の国が軍隊を送っていることでNGOの活動にも影響を及ぼします。周辺諸国にいる企業の人たちも狙われる存在になる可能性もあります。それが「反テロ戦争」の犠牲者です。
殺された2人の日本大使館員もテロの犠牲者ではなく、「反テロ戦争」の犠牲者ですよね。もし2月、3月にアメリカを日本が支持していなければ、イラクに自衛隊を送る法律をつくっていなければ、彼らが狙われることはなかったのではないでしょうか。
テロに屈するな、ひるむなと言いますが、現場の人間がひるむのは当たり前ですよ。でも戦地に行けば、自衛隊員はそうした躊躇やためらいは許されない。それが戦争の現場です。優しい穏やかな人であっても、戦地に行くと引き金を引く側になってしまう。
*野中 現地を見てきた印象と政府が進めようとしている自衛隊派遣の論理との食い違いは一目瞭然だよね。自衛隊員だけでなく、NGO、外交官、企業人達に犠牲者が出れば、それは小泉政権の責任であると言わざるを得ない。
*綿井 犠牲者が出ても、「屈してはいけない」「彼らの遺志を継いで」という追悼により新たな犠牲者が生み出されます。亡くなった人の思いを自衛隊派遣に集約するのは間違いです。
*野中 国家的な追悼によって国民を戦争に駆り出すようなことは、我々も反対の立場を明確にして批判をしていきたいと思う。(続く)