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「バグダッドから中継する綿井健陽」(撮影ジャパンプレス) 撮影 03年4月

しかし、車に乗って街の様子を見ただけでは、被害が少ないと「錯覚する」のはあたり前です。ぼくも01年11月にアフガンの首都カブールが陥落した直後、街を回って同じように錯覚しました。 しかし、病院や家を一つ一つ取材すると、空爆の被害の実態がつかめてくる。

被害者はむこうから自然に現れるわけではない。取材するこちら側の意識の問題です。これはずっと攻撃される側のバグダッドにいたからもてた意識や想像力だと思います。想像力の先にある本質的な事実を、ジャーナリストは何よりも見抜いてつかまなければならないのではないでしょうか。

*綿井 今回ぼくは、攻撃される側の視点でかなりの部分の取材に関わりました。その一方で、攻撃する側の取材も必要だと思います。従軍取材のあり方が批判されていますが、従軍取材そのものは今後もやるべきだと思います。しかしその場合、米軍側につく記者も、問題意識のもち方次第で取材の内容が変わるはずです。「この現場で自分は何を問い詰めるのか、何をまず伝えなければいけないのか。」その答えは、取材相手ではなく、取材する側の意識のなかに隠されている。
〈12月23日東京・アジアプレスにて収録〉 (完)

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