李登輝前総統が、進めた開放民主化は、「台湾化」という特殊な作用をともなったため、母語教育が義務化され、台湾史の学習が奨励された。そして、現在の陳水扁政権は、その路線を踏襲したのであるから、公務員試験に「台湾語」についての設問が登場しても、当然のものとみることもできよう。ところが、台湾には、実に十数個もの母語、すなわち民族が存在する。日本と同じ島国でありながら、台湾はたいへんな多民族「国家」なのである。
「ミンナン人=台湾人」、「ミンナン語=台湾語」といった図式は、多数派の独善に映るとして、マイノリティからは警戒されている。そこに登場した、ミンナン語に関わる出題に、客家人、原住民などから抗議の声があがったのは当然だろう。けっきょく政府は、それを受けて、採点の対象としないことに決した。
さらには、新しい歴史の教科書案で、中国史が世界史に組み入れられていることにも、不快感を表明する声が相次いだ。これまで、中国史は、自国の歴史として扱われてきたからである。台湾の認識をめぐる対立はますます先鋭化していきそうだ。
戒厳令が解除されてから、16年、この間、台湾の人たちは、にわかに郷土に目覚め、台湾という島の地形や自然、風土、文化に目を注ぐようになった。それは当然の営みであると同時に、みずからのアイデンティティを探し求める旅路でもあった。台湾とは何か、なにをもって台湾人となすか。人びとは「台湾」を求めて、彷徨してきたように思える。しかし剥いても、剥いても、現れるのは、中国であったり、日本であったり、なかなか台湾そのものは見えてこないのである。
この迷路をどう潜り抜けて、2300万人がいちように納得のいく形で、自己のアイデンティティの実体にたどり着くのであろうか。
両陣営の支持率はほほぼ35%ずつで、真っ向から対立している。のこりの30%は態度を決めかねているという。
(2003年12月24日)