先日おこなわれた台湾の高等公務員試験に、「台湾語」の問題が登場した。台湾語というのは通常、ミン南(ミンナン)語、すなわち福建省南部の方言を指す。ところが、台湾の公用語は北京語になっていて、公の場での会話や記録、公的な試験はすべて北京語でおこなわれていることから、とつぜんの「奇問」の出現に人びとは驚いた。
台湾の人口は、2300万人、そのうちの70パーセントの住民は、300年ほど前から台湾に渡来してきた福建人の子孫で、かれらはミン南語を母語としている。台湾には、母語と国語のねじれ現象があるのである。
李登輝前総統が進めた開放民主化は、「台湾化」という特殊な作用をともなった。母語教育が義務化され、台湾史の学習が奨励され、現在の陳水扁政権は、その路線を踏襲している。
公務員試験にとつぜん登場した「台湾語」についての設問は、そうした流れからすれば、当然のものとみることもできるが、実は、台湾には、実に10数個もの母語、すなわち民族が存在する。
「ミン南人=台湾人」、「ミン南語=台湾語」といった図式は、多数派の独善と映り、マイノリティからは警戒されている。そこに登場した、ミン南語に関わる出題に、客家人、原住民などからは、大きな抗議の声があがったのは当然だ。結局政府は、それを受けて、採点の対象としないことに決した。
さらには、新しい歴史の教科書案で、中国史が世界史に組み入れられていることにも、不快感を表明する声があいついでいる。台湾の認識をめぐる対立はますます先鋭化しているとも言えよう。
話は変わるが、同じ頃、この9月末に、台北植物園で植樹祭がおこなわれた。そこへ台湾政府は、3組の日本人を招待した。いずれも100年近く前、もっとも早期に台湾の植物を踏査・研究した学者の子孫たちである。
彼らは、田代、早田、金平という、その道の先人たちの子孫をさまざまな手管を使って探し当て、ビジネスクラスのチケットを添えた招待状を出した。受け取った人たちは、いちように驚いた。なにゆえに、いま?という素朴な疑問である。彼らは、みな台湾とは全く縁のない生活を送っていたからである。
ここ10年来、台湾の人たちは、にわかに郷土に目覚め、その地形や自然、風土、文化に注目を注ぐようになった。それは当然の営みであると同時に、自らのアイデンティティを探し求める旅路でもあった。台湾とは何か、なにをもって台湾人となすか。
しかし、例えば台湾の動植物の世界に分け入る際、その案内役はやはり日本語やオランダ語という異民族の文献に頼らざるを得ないのだ。3組を招待した、林業試験所の人たちにとって、台湾に植物学を立ち上げた田代、早田、金平という3人の名前は、巨大な塔のごとくそびえ立っているという。
台湾の万象をたどっていくと、どうしても、中国あるいは日本にたどり着いてしまう。この迷路をどう潜り抜けて、2300万人がいちように納得のいく形で、自己のアイデンティティの実体にたどり着くのであろうか。人びとの試行錯誤はまだまだ霧の中を彷徨っている。
(2003年12月)