ただ、どうしても戦場が持っている詐術、罠、魔力からまぬがれ得ない。でも今回、僕はとくにテレビを見ていて稚拙だと思いました。アメリカでよくばかにされるケースがあります。あまり年端の行かないコレスポンデントやカメラマンが戦場に行くたびによく「I'm here」と言うんだけど、つまり安っぽいヒロイズムです。「自分はここにいるんだ」という自己陶酔です。でもこういうのが多いんです。

ソマリアに行ったときにも、これ見よがしに防弾チョッキを着て異常興奮している記者がいっぱいいるんです。時にはアメリカの記者は拳銃持ったりするわけです。そういうものをちらつかせて異常興奮するケース、これが大体よくあるケースです。日テレなんか見ててそう思ったね。

自分がアメリカ軍のユニフォームに似せたようなものを着て、ヘルメットをかぶって、「あなた喜んでるんじゃないの?」というような感じさえするわけですよ。その際、綿井さんが何度も言っているように、爆弾を撃ちこまれる人たちの視線、苦しみ、苦悩、いっさい棚上げされている。

もともと、エンベットという発想もそうなんだけれども勝ち組の肯定になっているし、全体像として侵略の善人になっている。しかし、戦争のリアリティというのは綿井さんがおっしゃっているように、実は個別のもので極めて悲惨なものですよ。リアルでね。

それに対して、いわば、ネオリアリズムみたいな、創られた、作成されたリアリズムが出てくる。例えば、南部に入っていくとやらせかどうか知らないけど、踊りを踊ったりしている。見てれば「うそ臭いな」と分かるけれど、「喜ぶ」という映像が次から次へと出てくる。

テレビは「喜ぶ」という映像が嘘でもなんでもいいから欲しい、それが繰り返し流される、そこで言ってみればパブリックメモリーがどんどん形成されていく。そういうことを考えると、今回は21世紀に入っているマスメディアの在り様としてはお寒い限りどころか、今後例えば朝鮮半島で何か起きたら、もうほとんど予想がつくなという感じさえします。

野中
エンベット取材に行った記者達について、ベトナム戦争に行った石川さんが、書いています。彼はベトナムでは米兵側について行ったわけだけど、「自分のついている部隊の作戦が成功したからと言って一度も喜んだことがない」と言っています。
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