野中章弘×辺見庸×綿井健陽 対談(3)
作家 辺見庸とアジアプレス 野中章弘、綿井健陽が、
イラク戦争と報道、そして自衛隊派遣の論理を問う
(この対談は2003年12月27日に収録されたものです)

【米軍の空爆で負傷した男性。足の切断手術をした直後だった彼は病室でずっと泣き叫んでいた】(バグダッド/2003年/撮影:綿井健陽)

野中
2つの問題を指摘したいと思います。ひとつは綿井君も触れたけど、想像力の欠如が決定的にあるということです。今回、マスメディアは、「イラク戦争」「アフガン戦争」という言い方をしています。

4月初め、米軍がバグダッド国際空港近くに来た時、「空港の攻防戦などによるイラク兵の死者は2~3000人」という記事があったんです。ほんの数日間の戦闘で2~3000人が死ぬというのは現場では大殺戮に近いことが起きているということです。

しかも一方の側(米軍)の死者は百数十人。百数十人対数千人という、非対称的な戦闘の現場にいた「やられる側」のイラク兵にとってはものすごい恐怖だったと思うし、「やる側」の米軍にとっては殺し放題というような状況が起きていたと思うんです。

その記事はちょっとニュース的に書いてあるだけで、どのような戦闘が行われたかについてはほとんど伝えられていなかった。それを読んでも、何気なしに「数千人死んだんだな」という感覚しかもてなかったです。もしそこにジャーナリストが立ち会っていたら、ものすごい恐怖だったと思うし、大殺戮というものを肌で感じたと思うんです。残念ながらそういうものは伝えられなかった。

それは「戦争」や「誤爆」という言葉にも表れており、読売新聞は米英軍の攻撃を「進撃」「進攻」という言葉で表現しています。物事の根源を問うことなく、メディアが踊らされてしまった。
もうひとつの問題点は辺見さんもおっしゃったように、この戦争を根源的に問うていく姿勢がいかにも弱いことです。

その時々の状況に対する情報はたくさんあるけれど、本当にこの戦争に正当性はあるのかというところに常に立ち戻る姿勢が、メディアは非常に弱いと思います。イラク戦争、アフガン戦争と言われるけれど、現場にいてこれを戦争と呼んでいいのか、という疑問を綿井君は感じたことはありませんか。
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