綿井
実は今の状態のほうがよほど戦争に近いと思うんです。「イラク戦争」と呼んでいた3,4月は、ほとんど一方的な攻撃だった。空からいくらでもミサイルを撃ち込み、地上戦では大量の戦車や装甲車からの砲弾・銃による攻撃が一般市民を巻き込んでいく。
辺見さんも言われているように「リンチ」に近い。イラク軍も最初は抵抗していましたが、バグダッド市内周辺に侵攻してきた時にはほとんどの兵士が逃げ出していました。
国と国が戦っている戦争というより、一方的な攻撃を世界のメディアがウォッチしているという形でした。僕はテレビのリポートでも、何度も「殺戮」という言葉を使ったんです。日本に帰国してからですが、知り合いの先生が教える小学校の六年生の生徒たちが、テレビでの報道を見た感想文を書いたそうです。それをもらったのですが、小学生の感想といっても結構無視できない内容でした。
「戦争は国同士のけんかです。けんかにどっちが悪いもないと思います。どっちも悪いと思いました」「戦争は友達のけんかと同じようなものだと思います」「悪いのはビン・ラディンとイラクだし、アメリカもけんかを買うのはうよくない」あるいは「自分はこの国に生まれて本当によかったと思います」とこういう感想がほとんどでした。つまりどっちも悪いという形ですね。
僕が驚いたのはアメリカの残虐性のようなものを指摘する感想が全くなかったんです。僕は現地から殺戮や空爆の被害を中心に伝えたつもりだったんですが、自分が伝えた言葉や映像が一般の人にどう届いたかは疑わしいと思っています。大人でも「フセインが悪い」という捉え方をしていて、「戦争が悪い」という言い方をする人もいます。そこに僕が現地で感じたことと、日本での報道を通じた捉えられ方に違いを感じます。
例えば「空爆」という言い方がありますが、ある編集者から「攻撃される側からみたら『空爆』という言い方は止めた方がいい。『空襲』と言った方がいいんじゃないでしょうか。東京大空爆とは言わないですよね」と言われ、確かにそうだなと思ったんです。よく小泉首相が「テロ」「テロリスト」という言葉を使いますが、イラクで取材していて、イラクの立場からみて「テロ」「テロリスト」という言葉をそのまま使う人はほとんどいないですね。
武装勢力が行うと「テロ」で、国や政府軍がやると「作戦」「空爆」という言い方になるのはおかしい。僕も活字でテロという言葉を使う時、どうしても鉤括弧でくくりたくなるんです。伝える側が言葉を定義して伝えていかなければいけないと思いますね。
野中
国家によって定義された言葉を、メディアを含めた我々も無前提に受け入れて使ってしまっていると感じるよね。辺見さんはいかがですか。(続く)