野中章弘×辺見庸×綿井健陽 対談(8)
作家 辺見庸とアジアプレス 野中章弘、綿井健陽が、
イラク戦争と報道、そして自衛隊派遣の論理を問う
(この対談は2003年12月27日に収録されたものです)
綿井
「現場、あるいは現場に近いところで書いています、伝えています」というクレジットがほしいんですよね。イラク戦争の場合は、【アンマン○日=○○特派員】がそれでした。
辺見
急いでいる時はCNNやロイターを観ながらクレジットさえ東京で作ってしまうんです。
野中
4月9日にバグダッドが陥落した翌日の4月10日付読売新聞をみた時、仰天したんです。一面の記事はカタールの特派員、第一社会面の記事はアンマンの特派員が書いている。どちらも一般の読者が読んだら、この特派員は現場にいて記事を書いたと、百人が百人ともそうとれる記事の書き方なんです。
僕らはアンマンというのはヨルダンの町で、カタールというのはイラクとは別の国だと認識しているけれど、おそらくかなりの読者は誤解したんじゃないかと思います。記事には「市民は歓喜」と書かれており、「首都住民は米軍を『解放者』として歓迎し...」というのが一面の最初のリード文なんです。
記事の本文は全てが断定調で書いているんです。後で調べてみると、アンマンの西島という特派員はテレビを観て記事を書いたと言っているそうです。新聞というメディアは時間に追われているので、そういうことが行われているのは僕らも理解できます。
問題はその後です。5月1日付で読売新聞がやった紙面検証の中で「客観性を貫いた戦争報道」というのがトップにあり、読売新聞が一番客観的だったと言っているんです。
そこで話していた読売新聞・国際部長の山口勉さんが「新聞研究」6月号で「テレビを虚心に見つめていれば、そこで何が起きたかは明白だった」と書いているんです。ちょっと信じられなかったですね。
綿井
「テレビを観て記事書いていました」と言わんばかりですよね。
野中
それに対して後ろめたさや恥じらいさえない。
綿井
その同じ原稿で山口さんは、「今回の戦争で米軍の使用した精密誘導兵器の爆撃は驚くほど正確だったという」「大量の従軍記者による戦場からの生中継はジャーナリズムの歴史でかつてないものだった」とも書いています。
自分達で記者を送らなくても、テレビが伝える部分をしっかり観て、それを自分達がフォローして伝えればいい紙面ができると思っているのでしょうか。全国紙の国際報道に携わる部長がこういう捉え方をしているのはまったく驚きなんですが、読売新聞だけが特殊で例外なのではなく、実は他のメディアもそんなに変わらないのではと感じています。
米軍の従軍取材の「エンベッド」方式について思うんですが、日本の普段の取材システムとほとんど同じじゃないでしょうか。省庁の記者クラブや、政治家や警察の番記者も「エンベッド」みたいなものですよね。
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