彼等の怒りや不満の矛先はそこに駐留する軍隊に向くんです。4月9日にバグダッドが陥落した後も、その数日後には駐留している米軍に対してデモが起こりましたよね。
日本では自衛隊だとしても、現地の人にとっては軍隊ですよね。サマワでもデモが起こり、石を投げられ自衛隊が発砲したとしたら、サマワの人が抱いている日本のイメージも変化する可能性は極めて高いと思います。
有事法のように戦争を推進する法律は、躊躇やためらいを許さないわけですよね。僕は最近、躊躇やためらいという言葉がすごい好きなんです。躊躇、ためらい、不安、恐怖、これは極めて人間らしい感情で、それを表に出して言うことは重要だと思うんです。
これからイラクに行く自衛隊はそういう感情を表に出せず、戦地で銃を持って引き金に指を当てていると躊躇やためらいは許されないんですよ。相手が軍人でも民間人でも関係ないです。今の米兵は物音に反応して銃を撃っているんです。自衛隊も水や電気を直す仕事でも、その周囲では銃を構えており、何か起きたら「すぐ!」ということになる。つまり躊躇やためらいを許さない法律なんですよね。
僕もよく言うんですが、皆さんの前に劣化ウラン弾やクラスター爆弾の発射ボタンがあったとして、「押して下さい」と言われても、「押せません」と皆言うんですよ。でも、有事法のなかで家族や会社や自治体に「正義のために戦争に協力して下さい」と言われた時に、ボタンを押すことが断れるか、拒否できるかを問いかけた方がいいと思うんですよ。
自分はそんなボタンは絶対に押さないという人はいいんですが、みんながみんなそうだとは思っていません。人を殺傷するのはナイフなんかじゃなく、高度1万メートルから落とす爆弾のボタン一つなんですよね。その正気の狂気というもののイメージをどれくらい描けているかが疑問なんです。
野中
中国、アジアでの戦争で多くの犠牲を払い、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワという経験をした国が、どうしてこんなにも安々と自衛隊を送る決断をしてしまったのか。この謎はちゃんと解いていかなければいけないと思うんですね。
しかし、そういうことを立ち止まって考える暇もないほど事態はどんどん進んでいる。
日本人にアンケートをとってみても、7割以上の人は自衛隊の派遣やイラク戦争には反対しているにも関わらず、政府は先々へ行ってしまうんですよね。石原慎太郎が当選したことも僕は同じように思うんです。
僕の周りに石原慎太郎に投票した人は一人もいないんですが、308万票とって現実的に都知事になり、時代はそちらの方に動いている。この状況をどう考えたらいいのでしょうか。日本人の中に民族を通して戦争の痛みというものが残っていると思うのですが、それが現実には反映されていない状況を辺見さんはどう思われますか。(続く)