野中章弘×辺見庸×綿井健陽 対談(9)
作家 辺見庸とアジアプレス 野中章弘、綿井健陽が、
イラク戦争と報道、そして自衛隊派遣の論理を問う
(この対談は2003年12月27日に収録されたものです)
野中
ジャーナリズムの脆弱性という話をもう少し進めてみたいと思います。有事法に関しては朝日新聞でさえも「備えあれば憂いなし」という論理なんですね。仮想敵国として北朝鮮を持ち出し、「北朝鮮が攻めてきたらどうする」という話が先行している状況です。これに対してメディアはきちんと批判を立てることができていません。
辺見
先ほど従軍取材の歴史を話しましたが、戦争とマスメディアの歴史の発達には似ているところがあり、戦争の度にマスメディアが活性化していく面があると思います。
マスメディアの中で働く人間主体を中心に考えますから、戦争や戦争勢力とは対立関係にあると思いがちですが、全体の構造は違いますね。
個別の弱小メディアを例外にすれば、マスメディアが戦争に反対した例は一度もなく、戦争の旗振り役をマスメディアは担ってきています。日清、日露、15年戦争、太平洋戦争、今また北朝鮮を最大の脅威にしており、人種差別に近いぐらいの報道をして恥じなくなっている。
昨今は我々も声を大にして言わなきゃならんほど、マスメディアの権力化は例をみないほど規模が大きくなっていると思います。幻想だったとはいえ、60年代、70年代はマスメディアと国家権力には境界線があり、対立関係にあった。その境界線には緊張がはらんでいるという関係にあった。
今は権力そのものが実はメディア化していると思うんですね。特に小泉政権はメディア操作能力と情報の自己発信能力にものすごい力を持っている。現代の高度資本主義下では、権力はマスメディア化して、マスメディアが権力化している。そうすると、1930年代と違うソフトで巧妙なファシズムができていると言ってもいいと思う。
これは大きな装置の中では例えば、有事法制の問題やアフガン、イラク戦争の本質をみるような、問題の根源に対する人間的な深い眼差しはマスメディアには望み得ないと思います。36ページある新聞や多チャンネル化して世界中の情報を垂れ流すテレビを観ても、一つも腑に落ちる答えがないという大問題があると思うんですよ。
例えばアメリカの軍事予算は4000億ドル。有効核弾頭数を1万3000発以上保持しており、さらに実戦使用の小型低出力核兵器を作ることにゴーサインを出している。今までの核軍縮の流れを20年も後退させる状況が起きている。通常兵器並みに小型核兵器を開発する国が他国の大量破壊兵器に文句をつける資格があるはずはなく、核査察を一番最初に受けなければいけないのはアメリカじゃないか。こんなにも根拠がある理屈はないと僕は思う。北朝鮮という国にも問題はあるけど、アメリカと相互不可侵条約を結ぶことが何故悪いのかと思う。
軍事予算が4000億ドルなんて国は人類史上初めてで、軍事国家どころじゃない。我々は戦争超大国を作ってしまったわけですよ。その国が自分達の言うところの「自由」を暴力的に通そうとしている。それが許されることに反応するマスメディアは日本にはひとつもなく、全て事後的な現象についてなぞっているだけです。
あるいはエモーショナルに「アメリカとはこういう国だ」と言っているだけですね。理不尽なアメリカに対してこの国は何故、植民地国と宗主国のように隷属するのかという謎には答えていないですよね。
そうするとマスメディアの機能とは一体何なのか。個別のいい例外はあるけれど、全体として始まった戦争には肯定して、あとは戦争中から戦後復興や国際貢献を語る。こんな非人道的な話はないですよね。戦後復興といっても、壊した人間、殺した人間が最初に問われなきゃいけないはずなのに、これがマスメディアは非常に弱いですよね。
野中
基本的にアメリカ軍がイラクにいるということが不思議だし、米軍は掃討作戦によって1000人以上殺したり捕まえたことを自分達の成果として高々と言っているんです。あれを見て、米軍がイラクでああいうことをする権利を一体誰が与えたんだと思ったんですけれど、このことを疑問視する声はほとんど出ていない。
綿井
「米軍は自分達を守ってくれる存在だ。イラクのためにここにいる」と捉えているイラク人はほとんどいなくて、米軍は石油や中東支配のためにいるという捉え方しかないですね。イラク人は米軍も、それに追随する警察も信頼していないので、武器を持っているんです。家やレジの下に銃を置いているのは、持ちたくて持っているわけではなく、自衛するしかないんです。
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