グレナダに軍事クーデターによって左翼政権ができたので、「抑えきれない怒り」という作戦名の下、特殊部隊を派遣したんです。その頃から初めてアメリカは変だと思い始めましたね。アメリカのメディアのバカ騒ぎは今に始まったことじゃなく、その頃から愛国報道ばかりでした。顔に泥を塗って迷彩した特殊部隊が戻ってくると、歓呼の声で迎えるんです。
僕は外信部員だからグレナダがどういう国か知っていたけれど、東カリブ海に浮かぶ人口10万人、兵隊600人の国ですよ。そこに「勝った、勝った」と騒ぐのは、それはないぜと思う。でもアメリカには自意識として1620年にメイフラワー号で来た時からの伝道の意識があると思う。ものを知らない野蛮な人達に対して自分達の主観的な正義や民主主義を教えなければいけないと思っている。
今、穿った戦争の場面を言う人がいる。例えば、石油を狙って計画的にやっていることで、戦後復興も全部計算づくだという側面もある。でも、エトスやイデオロギー的な面を言うと、アメリカは主観的には善であり、悪をやろうとはしていない。そこが手がつけられないんです。小泉首相もある意味でそうです。
例えばボスニアやイラクのように善なる一次元的なところから見られる国際社会が、いかに間違った形で伝えられるか。僕は北朝鮮や金正日のような人間にも必ず正・反両面があると思う。確かにネガティブな要素は伝えられている分には非常に大きいし、僕も現状では好きにはなれない人物であるけれど、人間は丸ごと悪だけ考えているわけではなく、自国民を虐殺しようとだけ思っているわけではないんです。そんなことを言えば、ブッシュ大統領も同じだし、僕は彼を戦争犯罪人だと思っている。
独裁政権が抜き差しならない状況で国際社会が武力行使しないとこのまま続く。国連が動かないのならアメリカの単独行動に任せるしかないという理屈が正当化されるようになってきている。それはグレナダにきっかけがあり、ソマリア、ボスニアが大きかった。僕もソマリアは経験したけど、ソマリアはひどかった。イラクやアフガンのように国際社会の監視がないんです。平気で病院にロケット弾を打ち込むんだから。
「何で病院にロケット弾を打ち込むんだ」と訊いたら、「病院にゲリラが逃げ込んだからだ」と、あらゆる理屈をつけている。壊すだけ壊し、殺すだけ殺して95年には全部引き上げている。おそらく形式的な結果としてはイラクも似たような状況になると思うんだね。壊すだけ壊しても、手に余ったり、あるいはアメリカの政権の都合で「もう止めます」となる。そんなところに協力して自衛隊を出す方も出す方だけど。
我々が認め難い独裁政権があった場合、第三国が軍事力を行使してこれを打倒できるかどうか。これは極めて重要な質問で、我々全員が考えなければいけない問題なんだけれど、質問のプロセスをもうちょっと考えてみたい。つまりどれだけ悪しき政権と話し合いが行われたか、悪しき政権下における民主的な勢力がどういう努力をしているのか。それから、国連の機能がその段階でどういう風に行使されているか。
国連から代表団を派遣して独裁政権と反独裁政権との間に入って、反独裁的なものに肩入れする形でなされるかどうか。それはプロセス全体をみなければ、国際社会が独裁政権に対して武力を行使できるかはわからない。「金正日政権は政治犯を収容している。毎日『喜び組』と遊んでいるから絶滅していい」というのはとんでもない短絡です。その前にやることはいっぱいあるじゃないですか。(続く)