◆ある志願兵の終戦
「終戦は?」
「ニューギニアで。部隊長ははっきり言わないが、アメリカの軍艦が日本の歌を流して、出てきなさい、日本へ帰ろうって言ってる。わたしらは、勝つまで戦うつもりだった。さもなくば、死のうって。でも、部隊長が止めた。生きて帰れって」
「それで、収容所に入った?」
「恩賜のタバコを1本もらった。それで、おしまい。なにもない。ポケットに少しカネがあったけど、1回も使わなかった」
「それで、台湾に帰ってきた?」
「昭和22年の4月。ラバウルからアメリカの船に乗って。基隆港。夜ついたから、ひと晩船で寝て、明くる朝上陸する。もう日本人いない。シナ人の兵隊ばかり。やせ細って、ボロボロになって帰ってきたのに警官が偉そうに言うから、岸壁からそいつを投げてやった」
「家族に会ったときは?」
「なにも言えないよ。2年ぐらい寝たままで動けなかった。カネも全然なくて情けなかった。月給は、150円という話だった。100円は実家に送る、30円はラバウルの郵便局に、20円は自分でもらう。戻ってみれば、結局1銭もない」
前田は、最後に番刀とアルバムを持ってきた。番刀はもちろん当時のものではない。戦後、作らせたものであろう。
「これで、アメリカの首は狩ったんですか」
「いや、まだ」
まだ、という意味は、チャンスがあれば、まだ出征する気だろうか。馬鹿げた空想だが、もし天皇陛下が彼らに頭を下げて「頼む」と言ったら、たとえ一瞬でも彼らは「行こうか」という気になると思う。
昭和天皇は、彼らに対する責任を果たすことなく昇天した。あの世で多くの老兵に囲まれて、ああでもないこうでもない、と言われて困っておられるのでないか。
アルバムの中には、わたしの期待するような戦争に関係があるような写真は全くなかった。それは、平地でも同じである。戦後、国民党による反日政策のもとで、彼らの多くは日本軍に関係するものをごっそりと焼いている。
靴も、階級も、そして結局は給料さえも手にすることなく、番刀1つでジャングルを駈けた高砂勇士は、果たして目的の「ヤマトダマシイ」を手に入れることができたのであろうか。(続く)