ところが、3日後の1月29日、日刊紙「ラジダニ」が一面トップで「27日夜遅く、カトマンズ市内で“国の最高位にある人物”とマオイストの幹部が会見したあと、停戦合意が成立した」と、ギャネンドラ国王がマオイスト幹部と会ったことを示唆する記事を掲載した。

記事には、「元軍人のナラヤン・シン・プン建設相が自らヘリコプターを運転して、マオイストのリーダーを首都に連れてきた」などとすることまで書かれていた。記事の事実関係はともかく、同日夜9時前にマオイスト党首の「プラチャンダ」が、まずBBCのネパール語放送に声明文を送って停戦を宣言。その直後、政府も国営放送を通じてマオイストとのあいだで停戦合意が成立し、和平交渉への準備が始まることを公表した。そして、プン建設相をこの停戦に貢献した人物として、マオイストとのあいだの対話コーディネーターに任命することを明らかにしたのである。

 
  同年4月3日にカトマンズ市内で開かれたマオイストによる「対話団歓迎集会」で壇上に座る対話団の5人のメンバー。左から、クリシュナ・バハドゥル・マハラ、Dr.バブ・ラム・バッタライ、“バーダル”ことラム・バハドゥル・タパ、デブ・グルン、マトリカ・ヤダフ。バーダルは17年間におよぶ地下生活のあと、初めて公衆の前に姿を現した。

翌30日、プン建設相はマオイストとの接触を手助けしたとして、クリニック経営者のビレンドラ・ジャパリと元左翼系活動家のD.R.ラミチャネの2人をメディアの前で紹介。この3人は一躍、時の人となって、メディアで引っぱりだことなった。

ところが、こうした「表」の動きとは別に、国王とマオイスト幹部のあいだで、停戦に際して「極秘合意」がなされたこと。王室とマオイストを仲介したのはプン建設相ではなく、別の人物であること。

プンら3人はこの極秘合意の事実を隠す目的で、停戦劇を演出するための“おとり”として抜擢されたものであるとする“噂”が広まっていた。

王室とマオイストは「ラジダニ」の記事を、公には「事実無根」と否定していたが、ギャネンドラ国王とマオイストのトップレベルのリーダーが会って、両者に利益となる合意がなされたとする話は、停戦宣言直後に、私もある人物から聞いていた。

その話によると、国王とマオイストが会ったのは武装警察隊長官暗殺の数日前で、このときの合意にしたがって、政府側がすぐに停戦を宣言しなかったために、圧力をかける目的で長官暗殺を決行したというのだった。

この話の真偽を確かめるすべはないが、このあと3月に他の対話団に先立って密かにカトマンズ入りしていた、マオイストの政治局員で対話団メンバーでもあるクリシュナ・バハドゥル・マハラにインタビューをする機会があった。その際に、この話の真偽を聞いたところ、マハラは国王とのあいだで極秘合意があったとする噂は否定したが、長官暗殺に関しては「政府に停戦をさせる“カタリスト(触媒)”の役目をした」と、政府への圧力が暗殺の目的であったことを暗に認める答えを返してきた。
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