第6回 マオイストの“王国”竏柱サ場ルポ・1
ネパール竏忠、宮虐殺事件以降、闘争を続けるマオイストたち。その本拠地であるタバン村を取材する。第一回。

 
  サリヤン郡シタルパティからタルマレ村へ向かうバス。雨季になると車は通らない。

マオイスト本拠地への取材が実現した
ネパール共産党毛沢東主義派ことマオイストは、1996年2月に人民戦争を開始した当初から、中西部ネパールの山岳地帯にあるロルパ郡とルクム郡を本拠としてきた。

3千から4千メートル級の山が連なる両郡とも、モンゴル系のマガル族が最大の人口を占める。1950年代に、カリスマ的な極左系共産党リーダーとして台頭したモハン・ビクラム・シンとその支持者が活動の拠点としていたピュータンに近いこともあり、ロルパとルクムには50年代後半から共産思想が浸透しはじめていた。

とくにロルパ郡の北部にあるタバン村は、シンの影響でこの地域で最初の“コミュニストの村”となり、国王が強権を握ったパンチャヤト時代に、さまざまな反体制の姿勢を示して官憲側から制圧の対象となってきた。タバン村は、マオイストの人民戦争発祥の地と言ってもいい。

ロルパとルクムがマオイストの本拠地となった背景に興味をもった私は、2001年11月からこのタバン村への取材のアレンジをマオイストに要求していた。しかし、実現の直前に、政府とマオイストとの間で進行中だった和平交渉が決裂し、マオイストが武装闘争を再開して国家非常事態宣言が発令されたために、取材は無期限延期となった。2003年1月末に再度停戦が成立し、和平交渉のために首都を訪れたマオイスト幹部と直接会うことができ、タバン村への取材行がようやく実現することになったのは同年2月末だった。
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