吉田敏浩×新倉裕史 対談(4)
憲法の平和力を回復する。自衛官との対話を通じて、憲法9条のもつ意味を再発見する試み。
◆海外派遣を断る権利は認められている
吉田 テロ対策特措法による海外派遣について不満や疑問を持つ自衛官も少なくないようですね。
これは、派遣予定の艦船から降りて別の部署に移るのを希望した自衛官が出ていることからもわかります。こうした配置転換を補職替えと呼びます。インド洋に派遣された護衛艦や補給艦の乗組員のなかで、この補職替えをした人が昨年10月に明らかになっただけでも60人います。派遣拒否といってもいいことですね。
新倉 その後、人数はもっと増えているでしょう。同じ補給艦が2回、3回と派遣回数を重ねるごとに、補職替えの人数は増えています。
どのような海外派遣に対しても、自衛官は「できない」「行きたくない」と言えることを、自衛官もその家族も知るべきだし、私たち市民も知るべきだと思うんですよ。それは特別な決意を要することではなく、家庭の事情などを理由にして説明できることです。政府も自衛官に無理強いはしないと、国会で答弁しています。
吉田 2001年10月13日、衆議院において中谷元防衛庁長官(当時)が社民党の今川正美議員(当時)の質問に対して、「実際に派遣する場合は、本人の意思を確認して、希望するかどうか確認をして、どうしても行きたくないという者まで派遣するというようなことにはしたくない」と答弁しているんですね。
自衛隊法第3条(自衛隊の本務)には、自衛隊で罰則をともなう強制力のある命令として防衛出動と治安出動の二つが定められています。海外出動は自衛隊法の雑則に付け足された任務にすぎず、強制力はありません。断っても罰則はないんです。上官から派遣を打診されても、希望せずに辞退する人もいます。新聞報道によれば、北海道の陸上自衛隊員のなかにも、人数は明らかにされていませんが、イラク派遣を辞退した人もいます。
海外派遣を断る権利が自衛官にはある、ということがもっと広く知られてほしいですね。
新倉 広く知られることはとても大事だと思います。派遣を断っても、その行為を受け入れる世論があれば、自衛官も家族も孤立感を感じずに「行きません」ということができる。でも、派遣拒否が可能だという理解が社会にないと、拒否することはとてもむずかしいでしょう。
隊内でも孤立感を覚えて、そのプレッシャーに負け、「行きたくありません」と言えない自衛官も多いのではないでしょうか。これは人権問題なんです。だからこそ、自衛隊を特別視せずに、当たり前の主張が通る組織でなければならないという見方が社会に広まることが大切だと、私たちは思います。
吉田 私はイラク特措法が成立した直後に、ルポ(「自衛隊員の命は国家の『捨て駒』か」〔『世界』2003年11月号〕)の取材で3名の自衛官に話を聞きましたが、イラクが危険だからというだけでなく、米国による戦争と占領そのものに疑問を持つ人もいました。
疑問を持ちながらも、現地に行けば自分のいのちは危険にさらされるわけです。場合によってはイラクの人を殺さなければいけないかもしれない。そのような場に立たされるプレッシャーはとても大きく、深刻でしょう。
「自衛官ならそういう場に行って当たり前」「国のために行くべきだ」という世論が社会に広まれば、自衛官は辞退できない空気・風潮になってしまいます。
自分の生命を守る。家族に心配をかけたくない。自分の信念や良心に基づいて。そうした理由から、「嫌なものは嫌だ」と言える権利が人間として自衛官にも当たり前にあることを、自衛官自身にもっと自覚してほしいですし、社会に広く訴えていく必要もあると思います。
新倉 考えてみれば、武力攻撃事態法など有事3法が国会議員の9割の賛成によって成立したことは、自衛官にとってぞっとすることですよね。自衛官の戦死を合法化したわけですから。「おまえら死んでこい」というような、9割の政治家の本音の声が聞こえてくるようです。
自衛官にとって、以前は野党が国会でも強かったことは、政治的立場は別にして、自衛官の生命の安全という観点に立てば一種の安全保障でもあったんです。しかし現在、その歯止めはなくなってしまいました。
これから先、9割の政治家の本音の声が国民的な大合唱にまで膨れ上がってしまわないか気がかりですね。あの9割の賛成は、自衛官にとっては怖いことだとあらためて感じます。( 5へ続く >>> )