新倉 1980年代の初めに、米軍の巡航核ミサイル・トマホークの横須賀基地配備という問題が起きました。そのとき、私たちは反対署名運動をおこし、その署名を横須賀市長と神奈川県知事に提出しました。
トマホーク配備は日米両政府が合意して決まることですから、署名の提出先は日本政府かアメリカ政府にするのが普通ですよね。しかし僕らには、仮に日本政府がアメリカ政府の要求を受け入れ、横須賀にトマホークが配備されることになっても、自治体が「NO」と言えばいくらでも覆すことができるという思いがあったから、あえて署名を市長と県知事宛てにしたのです。
「草の根」署名運動の第1回で5万人あまり、第2回は10万人ほど集まりました。横須賀市でもかつてないほどたくさんの署名数でした。僕らは本気でトマホーク配備を止めようと思って、第2回目の署名を集めたあとの1984年に、ひとつのシンポジウムを開催しました。
そのときに来ていただいたのが、元横浜市長の飛鳥田一雄さん、「無防備地域宣言」運動を提唱して自治体の持つ平和力に関する著書のある林茂夫さん、逗子で一貫して市民運動をされている篠田健三さんです。
《自治体の平和力が米軍戦車を止めた》
新倉 この頃すでに、いま僕らが言っている「自治体の平和力」の原型みたいなものを意識していて、『核は止まる。もしあなたがそう思うなら』というパンフレットをつくりました。「そもそも自治体とは何ぞや」という点から始めて、素人なりの問題意識をまとめたものです。
例えば、1972年に当時の飛鳥田横浜市長らが、米軍の相模補給廠から戦車がベトナムに搬送されていくのを、国内法を駆使して横浜市の村雨橋のところで止めた。そのことをもう一回勉強しなしおました。
これは自治体が日米安保体制・安保法体系に対して異議申し立てをするだけではなく、実際上の力を発揮して米軍の行動を止めてしまうことが、現にあることを示したんです。米軍の活動にも国内法が適用できることをはっきりと示したわけです。
吉田 神奈川県の相模原市にある相模補給廠では当時、米軍がベトナム戦争で使う戦車を修理して、再びベトナムに送るために横浜港にある米軍専用埠頭ノースドックへと民間運輸会社のトレーラーに乗せて運んでいたんですね。
それに対して社会党員と神奈川県評傘下の労働組合員が阻止闘争をおこない、ノースドックの手前の運河にかかる村雨橋のところで座り込みをしました。そして、飛鳥田市長(当時)が車輌制限令を根拠に、市道使用の許可を取らない重量物=戦車の搬送を止めたんですね。
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