吉田敏浩×新倉裕史 対談(10)
「有事」の声に気おされず、戦争協力を拒否しよう。平時から地域条例による戦争協力拒否の前例を作り、戦争協力法案に対抗するための下地とする。

《政府の狙いと現実につくられた法律のずれに着目を》
新倉 政府の狙いと現実につくられた法律との間のずれを、ちゃんと認識する必要があるということだと思います。これまでの反対運動は、政府が出してきた法案に対する大変さの解説で終わっていた面があります。大変さの解説は、しばしば最大級の危なさまで読み込むことになりますから、結果として、運動の側が先回りして、その法案の力を拡大してしまうということになりがちです。

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米海軍空母キティホーク。横須賀米海軍基地。 (撮影:ヨコスカ平和船団)

そのこと自体を否定しようとは思いません。必要な警告としてその法案が及ぼす範囲を予測するのは大事なことです。しかし、「大変だ」だけでは、私たちは必要以上に手足を縛られて、袋小路に入ってしまうのではないでしょうか。

だから、「大変だ」と同じくらい大事なのは、そのずれに着目することダというのが、私たちの一貫した主張です。政府の目論見どおりのものができていないことのずれのなかに、どのような反対の根拠・論理を見いだして組み立てていくか。そこにこそ「希望」があると思います。しかし、そこは案外おろそかにされがちですね。

吉田 陸・海・空・港湾労組20団体と防衛庁の質疑応答のなかで、「業務従事命令期間中に労働基準法や労使間の労働協約の取り扱いはどうなるのか」という問いに対し、「労働基準法の適用は排除しないし、除外しない。労基法に従って従事していただく。労働基本権を排除するものではないし、労働協約は労使間の問題であり、申し上げることは難しい」という回答がなされています。

たとえば全日本海員組合は、1980年代から90年代にかけてイラン・イラク戦争や湾岸戦争のときなど、危険な海域での就労に関して、「本人の意思により乗船することを希望しない者については、その意思を尊重して対処し、不利益な取り扱いはしない」という確認書を労働協約として船会社との間に結んでいます。危険な業務の拒否権を認めさせるものです。この実績からしても、より危険な有事法制がらみの業務を拒否することは正当な権利です。

過去には、「危険な業務命令は拒否できる。拒否しても処分されない」という全電通千代田丸事件の最高裁判決(1968年)もあります。
こうした事実があまりにも知られなさすぎると思います。マスコミの有事法制についての報道でも伝えられていません。有事法制をどのように拒否するかについて、学者や法律家から専門的に研究した発言もあまり聞かれませんね。

新倉 もちろん専門的に研究されている学者の方もこの問題はわかっていると思います。また、「拒否できるなら、法律ができても心配いらないじゃないか」という意見が広まってしまうおそれがあるのもわかります。

でも、だからといって、「こんなに大変だ」と訴えるだけいいのか。確かに言い方は工夫しなければなりません。「拒否できるなら、法律ができても心配いらない」という受け取られ方ではなく、「拒否できると言い切って、その根拠・論・方法に磨きをかけることで有事法制を空洞化させる」という積極的な意味を受け取ってもらえるようにしたいですね。
また、仮に拒否できるという側面があったとしても、こんな法律が成立してしまうこと自体が、これまでにはない大変さを示しています。この時代の変化を捉えなくちゃいけないんです。

《「戦争非協力宣言」を広めよう》

吉田 各労働組合に取材して、みなさんから聞いたのは、様ざまな個別法や憲法第19条の「思想及び良心の自由」などに基づいて、戦争協力拒否の法律的根拠はあるし、論陣も張れるということです。

事業者に政府の軍事協力要請を受け入れないよう申し入れたり、拒否権を認める労働協約づくりや労使の事前交渉などに向けた取り組みもおこなっています。最後の手段としてはストライキも辞さないといいます。

ただ一番の問題として、みなさんが言われるのは世論ですね。「有事なのになんで拒否するのか」「国のために協力するのは当たり前だ」という声が大きくなって、労働者を「非国民視」するような空気が世の中に広まると、拒否・非協力を通すのは実際問題として難しくなるわけです。

有事3法ができてから、政府は「国民は必要な協力をするよう努めるものとする」とか「地方公共団体、指定公共機関は必要な措置を実施する責務を有する」とか、武力攻撃事態法の文言を出して、「国のために協力するのは当たり前だ」という空気づくりをしています。

本当は強制力はないけれど、「業務従事命令」の「命令」という言葉によって、従わなければいけないものなんだというイメージの刷り込みが社会に広がっていきます。
そうすると、周囲からの目に見えない圧力を感じて、当事者の労働者や自治体職員は「NO」と言えなくなる。戦争非協力の闘いをしても、それを支える世論や市民運動、マスコミの声がないと、結果的には支えきれないのではないかと、みなさん危惧しています。

新倉 2001年に、米海軍の空母キティホークが横須賀からアフガニスタン攻撃に出て行くとき、政府はマスコミ各社に取材用ヘリコプターを飛ばさないよう要請しました。「空母がテロに遭ったらどうするのだ」という政府側の言葉の前に、すべてのマスコミは沈黙してしまうのです。

単なるお願いでも、ものの見事に従ってしまう。現実の戦争協力もこういうかたちになると思いますね。
政府が求めているのは、命令で仕方なく動く人びとではなく、自発的に協力する人びとです。そういう社会風潮なんです。

吉田 そうなってしまうと恐ろしいですね。自衛隊がイラクに送られている現在、そうした社会風潮のきざしも表れています。では、それに対してどのように対抗してゆけばいいのでしょうか?

新倉 いざそのときになって慌てて支えようとしたり、世論づくりをしようとしたりしても、なかなかできるものではありません。今のうちに「戦争協力を拒否できる」ということを当たり前のこと、当然の権利にしておくべきなんです。

日頃から、「いざとなったら、私たちはこんな根拠に基づいて、こういう方法で対応します」と明らかにしておき、地域でそれを支える人たちと協力関係をつくっていく。労働組合が声を上げ、市民はそれを支える。たとえば、横須賀市職労が「拒否できる」と明るく言っていることは、ひとつの方向として大切なことだと思いますね。

日本政府も、アメリカの政府と軍も平時が大事だと考えています。民間港にたくさん米軍の艦艇を入港させることも、平時のうちに前例を積み上げて、既成事実づくりをし、戦時のときにも自由に使えるよう準備しているわけです。

だから平時が大切なんです。民間企業や自治体、地域で「戦争非協力宣言」を広め、非協力の水位を上げていくことが、有事法制を空洞化させ、発動させないことにつながります。
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