《安全保障を国家に独占させない》
吉田 一昨年、有事3法案が国会で審議されている頃、全国で500以上の市町村議会が法案に反対や慎重審議、徹底審議を求める意見書を可決して政府に提出していますね。有事3法が成立して、自治体も政府がつくった有事体制づくりの土俵に取り込まれかけている面もありますが、地方自治法に基づく地域住民の生命・財産を守るという根幹は失われていませんし、そこに根ざす自治体の平和力はいまも有効です。
たとえば小樽や苫小牧のように、米軍の艦艇の寄港を港湾管理権に基づいて断った事例もあります。神戸市には「非核神戸方式」があるし、苫小牧市では「非核平和都市条例」を制定して、「非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがある場合は、関係機関に協議を求める」ようにしています。非核平和条例をつくる運動は、函館や小樽などで地道に続けられています。
地域住民が声をあげて自治体とともに平和力を引き出すことが、日本の戦争国家化を食い止めることになります。自治体外交も、自治体の持つ平和力を活かすひとつの方法ですね。
新倉 安全保障・外交問題を国家に独占させたままでいると、かえって安全ではなくなると思う人が多くなれば、国家は独占したままではいられません。
情報公開法でも、政府がなかなかやらないので自治体が率先して条例をつくり、情報公開する動きが先行しました。公害問題でも福祉問題でも、だいたいそういう進み方です。国家が独占する数少ないものとして安全保障・外交問題が残っています。
でも、このまま続くとは思えません。かつて戦争という究極的な選択によって破局を迎えたのは、国家が安全保障を独占して、ほかに選択肢がなかったからです。これからの安全保障は様ざまな選択肢を持たなければなりません。
すでに自治体の取り組みが積み重なってきています。自治体の数だけ選択肢があるという多様性こそが安全保障だと思うんです。すぐに効果が上がらなくても、21世紀のある種の方向性はそこに示されています。
吉田 そうすると、地域の反基地運動にとって自治体が果たす役割もより大事になってきますね。
新倉 その通りです。沖縄や神奈川のように多くの基地を抱えた自治体は、有事における動きの先取りをやっている面もあります。
沖縄県は保守系の現知事に代わってから、日本政府の意向をそれなりに聞いていますが、沖縄に根強くある反基地の底流を無視することはできません。
例えば新しく作る基地の使用期限を15年とするいうのは、新しい基地を受け入れるための条件ですが、15年という期限が「足かせ」であることも確かだと思います。時間がたつに従って、ボディーブローのように利いてくるのではないでしょうか。
基地を抱える自治体がおこなっていることは、有事の際に他の多くの自治体が取りうるスタンスを示唆するものです。たとえば、厚木基地のある神奈川県大和市の土屋市長が、米軍艦載機の度を越えたNLP(夜間離着陸訓練)に対して、「友好関係を中断する」と一言入れて抗議しただけで、米軍は訓練を中止しました。
僕はここ3年くらい、神奈川県に「基地問題を自治体の平和外交として語ることは可能か」と訊いてますが、まだ期待した答えは返ってきません。しかし、すでに朝日新聞は土屋市長の行為を、「自治体外交によって成果」という見出しをつけて報道しています。
基地問題について米軍や日本政府に物申すことは、自治体外交そのものなんです。基地があるがゆえに、戦争と平和の問題について自治体は具体的に中身のある発言をしているんです。有事のときにはその問題が全国的に自治体に関わってきます。基地問題で苦労している自治体の経験、役割、発言はとても大事なんです。
日米安保にともなう地位協定の見直し問題も、米軍の軍事行動に足かせをはめる具体策のひとつです。その延長線上に自治体の平和外交が出てくると思います。だから、平和運動の側は自治体を糾弾の対象として見るのではなく、パートナーとしていく可能性、接点を探るべきなんです。自治体と市民が一緒になって日本政府に相対することがなにより大切です。
主権を持った市民と地方政府としての自治体が、力を合わせて国家の暴走を食い止める。日本国憲法が描いているのはまさにそういうことだと思います。
吉田 憲法のなかにある平和力を掘り起こして、活かしていくということですね。
( 12へ続く >>> )