◆ビルマの夜明けに何が見えるか
在日ビルマ人ジャーナリストで元NLD党員のニュンシュエ氏(55)は、「まず1990年の総選挙の結果に基づいて、国会を召集し、暫定政権を樹立後、憲法起草委員会を設置する。
そして、憲法起草委員会主催で国民会議を開催するべきだ」と批判する。ニュンシュエ氏が指摘するように、ロードマップは 1990年の総選挙結果を過去のものとみなしている。
1993年に始まった国民会議は、自由な議論と公正な決議が行なわれないまま104項目が決められた。そこには、軍の望むビルマの国家像が色濃く出ている。主なものを挙げれば、以下のような項目がある。
(1)国家・州(管区)各レベルの議会で、25%を軍人が占めること
(2)国防相・内相・国境地域開発省大臣は軍人であること
(3)警察を軍指揮下におき、軍は政府から独立した機関であること
(4)非常事態時に、軍が全権を掌握できること
軍は、一定の権力を保持し続けることを望んでいるのは間違いない。
ことし3月にビルマを極秘訪問したラザリ氏は、「スーチー女史と軍政の間で対話が持たれており、4月にも解放される可能性がある」と語った。スーチー女史との対話が行なわれているとすれば、ディペーイン事件よりもロードマップに則った民主化を優先させるかどうかの駆け引きが行なわれているはずだ。軍政は、NLDが国民会議に参加せざるを得ない状況をつくりあげ、開催直前にスーチー女史を解放することを狙っている。
さまざまな問題点を抱えつつも、スーチー女史は現実的に判断し、一時的に妥協する可能性はある。民主化を求め続けてきた結果として、ディペーイン事件は起きた。その本来の目的が前進するならば、政治的取引が行なわれる余地はある。
ディペーイン事件については、実行犯のみ処罰され、その黒幕である軍政の中心にいる者たちは保護される。そうして幕が降ろされる可能性もある。しかし、正義の回復のないまま、このまま放置されていけば、ビルマ社会は不正を許容する社会のまま、その病理をはらんでいくだろう。
一方で、今後、ビルマにおける変化は、88年の民主化運動やフィリピンの人民革命のようなかたちで起きるとは思えない。それは、ビルマ国内で軍政による徹底的な監視を身をもって経験した私の感想である。NLDさえも、軍事政権の掌の上にある抵抗勢力にすぎない。それは、その指導者までもが不当に逮捕・拘禁されていることからも明らかである。
ビルマの未来は、南アフリカのようなトップによる政治的取引しか道はない。だとすれば、軍政によるロードマップは、ビルマにとって夜明けになる可能性もある。しかし、夜が明け、どんな国家が見えてくるのか、それはいまだ深い霧に包まれている。