今年2月中旬、ファルージャの街を取材したとき、こんなことがあった。
『(中略)そして、ファルージャでもやはり、「日本の軍隊」を直接名指しした非難が、私に向けられた。警察署での取材を終えて通りに出ると、若者たち何人にも囲まれて叫ばれた。
「ヤバン(日本)? ヤバニ(日本人)?」
そしてその後に続く言葉に、私はたじろいた。
「日本はもう、イラクの友人ではない。米国も英国も日本もみな、神の敵だ。米国に協力する奴らはみな敵だ」』
『(中略)だが、今回はあちこちで一般の住民たちでさえ、「米国も、日本も……」と自然に並列扱いで語りはじめている。
本当に危険な兆候だ。
戦後六〇年かけて積み重ね、築いてきた日本へのイメージと信頼が、いま自衛隊の派遣とともに崩壊しつつある。いまイラクの地で、日本は「戦争当事者」「参戦国」になってしまった。』
(いずれも「週刊金曜日」04年2月27日号掲載記事の本文から)
昨日、ファルージャの街のすぐ手前の道路では、興奮した若者が僕に体当たりをしてきた。その後、住民から小さな石を投げつけられた。眼鏡に当たったので、何もケガはしなかったが、イラクでは初めての経験だった。
昨日のアルジャジーラTVで放送された犯行グループの声明文は、
「日本人はわれわれの友情を拒み、恩を忘れた。不信心な米軍に対し、物資と兵士を提供することで協力し、われわれの神聖な地を汚した」
という。
僕はこの文章に対して何も異論はない。全面的に賛同する。「まさにその通りです」としか言いようがない。
問題はその次の部分だ。
「あなた方には二つの選択肢がある。軍を撤収させるか、われわれが彼ら(三人)を生きたまま焼き殺すかだ」
突きつけられたこの二者択一の選択肢に対して、どのような「判断と行動」を取るべきなのか。
正直なところ、僕はいま…わからない。答えられない。どちらの選択肢も選べない。
不意に96年のペルー日本大使公邸人質事件を思い出したが、そのときと違って、今回は「3日間」しか時間がない。3日以内に、この選択肢にはない何か別の方法は選べないだろうか。
…あると思う。いまはそこまでしか言えない。
(2004年4月9日)