朝のニュースで、ハマスの創設者、アハマド・ヤシン師がイスラエル軍のミサイルで即死したというニュースを聞いて驚いて、ガザに向かう。ガザへ入るエレズ検問所には100人の報道陣がつめかけ、一刻も早く、現場へ向かおうとするが、イスラエル軍兵士によってとめられ、あく様子がない。
携帯かけまくっているジャーナリスト。半分開き直って座り込んで持ち込んだ食料を食べているジャーナリスト、とりあえず検問所から実況中継するジャーナリストなど様々だ。葬式のデモはとっくに始まっている。TVクルーの人たちは気が気ではない。待っている間に終わってしまう可能性がある。今どのあたりに、デモ隊はいるのか、刻々、現地の人たちに聞いているジャーナリストもいた。
待つこと延々5時間、やっと入れたと思ったら、兵士によって一人一人丁寧に持ち物検査があり、やっと現地にたどりついたころにはデモはほとんど終わりかけていた。
現場に着くと、デモ隊は最終地点、ヤシン師が葬られるアル・(エル)シェハラドワンに向かっていた。墓場には小高い丘のほうまで旗が掲げられ、たくさんの人々で埋め尽されていた。小高い丘のほうまで、旗を掲げ、人々で埋まっていた。
ある人は放心した様子で、ある人は墓石のそばに座り込んで泣いていた。人々の群れのなかで、私は動きがとれずにいた。スピーカの男性は何度も何度もスローガンを繰り返し、人々はそれに声を合わせた。最後のお祈りになるとあちらこちらですすり泣きが聞こえた。
ガザ市で衣料品店を営む男性(30歳)は「これは新たな戦争の宣告だ」と叫んでいた。私は見ることはできなかったが、ヤシン師暗殺のニュースが広がった直後、ガザ地区全域ではタイヤがあちらこちらで燃やされ、空が真っ黒になるほどだったという。新たな何かが始まるという悪い予感がする。
埋葬されるお墓で
ヤシン師の娘は「彼の死はさらに私たちを強くする」
と話した
壁文字には「ヤシン師よ。安らかに眠ってください。
私たちは闘い続けます」と書かれていた