この涙は、自身が受けた処分への悔しさだけから流されたものではない。A教諭の涙には、ひとりの教育者として、子どもたちの未来を守るべく権力と対峙する覚悟が滲んでいた。
この春に執り行なわれた卒業式での処分者は約二〇〇人。そして入学式での不起立者として、新たに約四〇人の教職員が処分された。周年行事での処分者も含めると、約二五〇人もの処分者を都教育委員会は決定した。職務命令違反云々という理由では済まされない、異常な処分者数である。
今年度の卒業式で処分された教師たちが受け取った処分説明書を見せてもらった。そこには、「地方公務員法第三二条(法令及び上司の職務上の命令に従う義務)違反、及び全体の奉仕者たるにふさわしくない行為であって、教育公務員としての職の信用を傷つけ、職全体の不名誉となるもの(以下略)」と記されていた。
ちなみに、昨年度までの卒業・入学式などはどのように扱われてきたかと言うと、おおよその都立学校では国歌斉唱の前に「内心の自由」を挙げて、斉唱の自由を促していたそうだ。しかし、今年度の卒業・入学式では、そのアナウンスはなされなかった。
日本国憲法で制定されている「基本的人権の尊重」では、第十九条において「思想及び良心の自由」が保障されており、「精神活動の自由」にあたっては、この十九条のほか二十条などを含めて四つの条文に渡ってその保障が謳われている。
つまりは、日の丸・君が代に対して、それぞれの国民が持つ個人的な思想・信条は保障されるべき存在なのである。しかし、地方公務員という立場を理由に、個人の思想信条を貫いた教員たちは処分された。この処分は今回限りのものではない。
毎年行われる入学式や卒業式、周年行事の度に「日の丸・君が代」への統一した価値観が教員たちへ突きつけられるのだ。そして、価値観に反する思想・信条を持つ教員たちの処分が繰り返され、やがてそのような教員たちを排除していくことになるのだろう。これは、現代における「アカ狩り」のはじまりではないだろうか。
「ゆくゆくは皆の問題になっていくでしょう」
これは、初めてA教諭に会ったときに彼女が私に言った言葉だ。A教諭をはじめ、今回処分の対象となった教員たちは、今まさに権力によって犯されようとしている「基本的人権」を守ろうとする姿ではないだろうか。
(2004年04月12日 中平真由果)