今、日本のジャーナリズムをみていますと、政府が報道機関をコントロールしようとする動きは露骨になっています。マスメディアをコントロールすることは難しいことではありませんし、政府も自信を持っているようです。この間のテレビ、新聞の動きをみていると、ごく一部の良心的なジャーナリズムを除いた報道の多くは、政府の見解に寄り添ったようなものになっているというのが僕の実感です。
今回、人質になったようなNGOやフリーランスは政府の手の外にある人達なんですね。つまり、社会の中でメインストリームにいる人ではなく、端っこにいる人達なんです。この人達がイラクで救援活動をやったり、反戦的な論調のリポートを出すことに対して政府も目障りだと思っているんですね。
人質事件を契機に、この際、NGOやフリーランスのような社会の主流に納まらずに独自に活動する人達を叩いておこうという意図があったんだと思います。叩く時に「フリーランスもNGOも自分勝手で本当に困った人達で、周りの迷惑を考えない連中だ」というイメージを国民に植え付けようとしたわけです。こういう動きに対して、僕は反撃していきたい。
5月16日まで東京都写真美術館でロバート・キャパの写真展をやっていました。彼はスペイン市民戦争からキャリアを始めて1954年にベトナムで地雷を踏んで亡くなりました。キャパはスペイン市民戦争以来、いつ戦場で命を落としてもおかしくない取材をしていました。スペイン市民戦争の記録を始めた最初の日に命を落としてもおかしくなかった。
1954年までたくさんの写真を雑誌を中心に発表してきました。世界の人々はロバート・キャパ等の写真を見ながら、戦争の現実を知ることができたわけです。彼は亡くなってしまいましたが、彼の行ってきたジャーナリストとしての活動は、世界の人々が戦争とは何かを考える重要な材料を提供してくれたわけです。その意義は没後50年経っても衰えることはなく、我々は彼の写真を見ながら常に戦争の悲惨さ、愚かさを確認してきました。
ただ、それだけ経験豊かなジャーナリストであるロバート・キャパですら、ベトナムで地雷を踏んで亡くなりました。従軍していた時にもっといい写真を撮ろうとして土手に駆け上がろうとして地雷を踏んでしまいました。つまり、戦場でジャーナリストが亡くなる時には必ずミスがあります。ロバート・キャパもピュリッツアー賞をとった沢田教一、「地雷を踏んだらサヨウナラ」という言葉を残して死んでしまった一ノ瀬泰造、そして今回の橋田さん達にも必ずミスがあります。
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