◆マオイストにとっての唯一の誤算
真っ先に占拠されたのは、ベニ・バザールから離れた、カリガンダキ川の南岸にあるミャグディ郡刑務所だった。
襲撃開始から1時間もたたない深夜12時のことである。大きな岩がころがる川原のすぐ上に建てられた刑務所には当夜、19人の警官と33人の囚人がいた。
“プラビン”は私に、「刑務所ではまったく抵抗がなかった。銃弾もほとんど使う必要がなかった」と話した。マオイストの部隊が刑務所に潜入したとき、警官は一人をのぞいて全員が逃げてしまっていたのである。
マオイストはこれまでのすべての郡庁所在地襲撃で行ったように、囚人全員を解放したあと、建物に火をつけた。
逃げた警官のほとんどは、川原の岩陰に隠れて夜が明けるのを待った。明るくなってから、対岸に迷彩服を着た人が歩いているのを見て、警官は「治安部隊の軍が助けに来たのだ」と思って、岩陰から姿を見せた。
このとき、2人の警官が射殺されている。彼らが治安部隊だと思ったのは、武装マオイストだったのである。私が襲撃の5日後にこの刑務所を訪ねると、そこには1人の警官もおらず、解放されたあと戻ってきた囚人4人だけが焼け跡のなかで暮らしていた。囚人が作った刑務所の入り口にある小さなの寺の中の、ヒンドゥー教のシバ神を表すリンガは壊されていた。
マオイストはこの襲撃のために、さまざまなルートを使ってベニの治安部隊に関する情報を収集したはずである。しかし、彼らにとって一つだけ誤算があった。それは、ベニの東約50キロのところにあるポカラ市から来た、王室ネパール軍と武装警察隊の合同治安部隊120人の存在である。
この治安部隊はポカラから徒歩でパトロールをしながら、当夜、偶然、ベニに到着したところだった。この部隊は全員が、郡開発委員会の敷地の中にある会議場のホールに宿泊していた。マオイストは襲撃の際に、彼らがそこにいることをまったく知らなかったのである。
この部隊が宿泊していた郡開発委員会の敷地は、郡警察署と王室ネパール軍兵舎のちょうど真ん中にある。“プラビン”は、マオイストがこの部隊の存在を知らなかった事実を認めて、こう話した。
「われわれは、郡開発委員会の建物の横にある議長ゲストハウスの屋上に約20人の治安部隊が駐屯していることは知っていたが、ポカラの部隊がその裏にあるホールに泊まっていることは知らなかった。しかし、彼らは敷地の中から一歩も外に出ず、われわれに攻撃を仕掛けてこなかった。ポカラの部隊とは交戦をしていない」
ポカラの部隊がなぜ、積極的に交戦をしなかったのか疑問は残るが、自らの命を守ることで精一杯だったであろうことは想像がつく。100人を超える兵士がいながら、彼らは目の前にある郡開発委員会と郡行政事務所の建物が焼き討ちされるのを阻止することができなかった。
襲撃から数時間たった午前3時半すぎ、郡庁所在地の中枢は炎に包まれた。それからまもなく、空が明るくなりかけたころ、午前5時から6時にかけて、マオイストは軍兵舎と軍警察署に対して、最も激しい銃撃戦を仕掛けた。