◆ロルパ取材記 マオイストたちの戦い
ロルパ郡はマオイストの“ラジダニ(首都)”といっていい土地である。カトマンズの西約250キロのところにあるロルパと、その北に接するルクム郡を、マオイストは1996年2月に人民戦争を開始して以来、武装闘争の本拠地としてきた。

3年前、本格的にマオイストの取材を始めてから、私の興味もつねにロルパに引きつけられていた。過去2度にわたるロルパへの取材で、私は確信していた。ネパールにロルパという土地がなかったら、この国に反政府武装勢力“マオイスト”が誕生することはなかったにちがいない。

さらに、ロルパにマガル族がいなかったなら、マオイストが国家を揺るがすまでに拡大することもなかったにちがいない。ロルパのマガル族がマオイストの、特に彼らの武装勢力である人民解放軍に貢献する度合いは、それほどまでに大きいのである。

現在3つある人民解放軍の師団のうち、エリート部隊である中部師団指揮官の“パサン”や東部師団指揮官の“アナンタ”をはじめとするトップレベルの指揮官のほとんどが、ロルパのマガル族出身であることを見てもそれは明白だ。

9月半ば、私はロルパへの3度目の取材に出かけた。昨年春の取材では、ロルパ郡北東部にある“ネパールの延安”タバン村を目指したが、今回は、まだ足を踏み入れたことのない同郡西部を歩くことにした。取材の目的は、昨年ルクム郡で会見した、タバン村出身のマオイストのリーダー、サントス・ブラ・マガルに再会することである。

サントスは、今年1月にマオイストことネパール共産党毛沢東主義派が樹立を宣言したマガル族の自治区「マガラート自治区人民政府」の議長である。彼への接触は、ロルパに入ってから現地で行うことにした。接触まで何日かかるかわからないが、腰を据えて待つ覚悟でいた。

(写真:昨年3月、ルクム郡チャウリジャハリ村で開
かれたルクム郡人民政府宣言集会で演説する、マ
ガラート自治区人民政府議長のサントス・ブラ・マガル。)

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(写真下:昨年3月に訪れた“ネパールの延安”タ
バン村で会った人民解放軍の兵士たち。半世紀
前から“コミュニストの村”として知られるタバン村
は“マオイストのルーツ”と言っていい村だ。)
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