彼らの話し声が否応なしに耳に入ってくる。とても寝つけるような環境にないと判断して、私はグループのなかで最も年長者らしいマオイストを、こちらの部屋に呼んでインタビューを始めた。
年長者とは言っても、小柄で30代後半にしか見えない。“ラジャン”という党名をもつこのマオイストは、約10年前に、マオイストことネパール共産党毛沢東主義派の前身である統一戦線ネパールに入党したと話した。格子のシャツを着て眼鏡を掛けた容貌や話し方から、彼も元教師ではないかと推測された。実は、党首“プラチャンダ”をはじめ、マオイストのリーダーには学校教師の経験者が多い。
ロルパ出身のリーダーにいたっては、党スポークスマンで政治局員のクリシュナ・バハドゥル・マハラや師団指揮官“パサン”、それに私が会いたいと思ってきたサントス・ブラ・マガルをはじめ、ほとんどのリーダーが元教員である。教師がロルパを“コミュニストの土地”にしたといっても過言ではない。
(写真右:バザールの宿の軒先で、大麻の茎からとった繊維を巻き取るマガル族の女性。ロルパのマガル族は昔から、大麻をさまざまな用途に使ってきた。)
“ラジャン”はDCMよりもさらにランクが上の、DSM(District Secretariat Member、郡事務局メンバー)であることがわかった。彼には主に、8月末にロルパで開かれた党中央委員会総会での新決定に関する質問をした。その内容については、次回に詳細をお伝えしたい。インタビューの最後に、彼の方から私の取材の目的について聞いてきた。
できれば、マガラート自治区人民政府のサントス・ブラ・マガルに、さもなければ、少なくとも中央委員レベルのリーダーに会いたいむねを伝えると、彼は答えた。
「リーダーは皆、ここから遠いところにいる。彼らに会える可能性は低い。このまま先に進んでもわれわれは止めないが、徒労に終わる可能性が高い」
はっきりとは言わないが、「あきらめて帰れ」という意味にとれた。しかし、何日でも腰を据えて待つつもりできた私は、このくらいのことであきらめるつもりは毛頭なかった。
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