中国に出てきている北朝鮮の人々
勇気を出して、新義州行きの列車を待っている、北朝鮮の人らしき2人の年配の女性のところに行ってみた。
「おばあさんは、どちらに行くんですか?」
そう質問するだけでドキドキする。
「中国に住む親戚を訪ねてたの。今から朝鮮の家に戻るんだよ。あなたはどこに?」
いきなり逆に質問を受けて戸惑った。‘私は韓国から来たんです。お会いできて嬉しいです’と言いたいところだが、警戒されてしまうと思い、韓国人であるとは言えなかった。私ははぐらかすように、彼女が北朝鮮に持ち帰る大荷物について尋ねた。

「お土産いっぱいですね。何を持って帰るんですか?」
私の朝鮮語はソウル言葉である。同じ朝鮮語でも、新義州地方や中国の朝鮮族の言葉とは、アクセントや抑揚がずいぶん違う。彼女は私の言葉の訛りが少し気になるようだったが、手にした荷物について嬉しそうに説明してくれた。
「これはテレビ。中古だけどカラーだよ。こっちは傘の束で、親戚に配るもの。これは布団。これはテーブルクロス。それから…」彼女の話は止まりそうになかった。

この場所で彼女に、韓国人記者という身分を明かして話を続けることははばかられた。北朝鮮行きの列車を待つ税関区域には、中国の公安(警察)も多いし、北朝鮮側の監視の目がどこで光っているかわからない。韓国人記者と話していたことが、後に彼女にどんな不利益を及ぼすかわからない。もっと詳しい話を聞きたかったが、周囲の目がきになって私はその場を早々に離れることにした。

丹東に住んでいる韓国人たちによると
「北朝鮮の人に好奇心で話かけてみたが、皆返事もしない。食堂などで彼らと出会っても、向こうはなぜか目を合わせようともしない」という。
<韓国人と接触してはならない>という、有形無形のさまざまな圧力が、中国に出てきた北朝鮮の人々にかかっていることを、改めて感じさせられたのだった。
次のページへ ...

★新着記事