戦争の記憶が原点となる
(少林寺拳法グループ総裁・宗由貴と野中章弘(アジアプレス)との対談です)

041123_01.jpg野中
少林寺拳法の創始者である由貴さんのお父さんが中国に渡ったのは17歳のとき。経歴を読むと、「特務機関」というところで働いていたことになるんですよね。その経歴だけを読むと、彼は戦争を遂行する側にいたんじゃないかというふうに見えるのですが、実際はどうだったのでしょう。

戦争を肯定することはなかったですね。ですが、やはり父なりに信じていた部分というものはあった、と思います。要するにアジアのそれぞれの民族の共栄という大儀に、父なりのある夢を持ったり、自分も馬賊になりたいとか、大陸浪人になって横断するなど…。そういう意味でいうとアジアというのをものすごく意識している人でした。そういう時代だったのでしょうね。
野中
確かにそういう時代の雰囲気はありましたよね。

だから、父なりの信念はあったのだと思います。でも、実際に父が中国へ行ってみたら全然そうではなかった。最初が敗戦のときですよね、ソ連の侵攻があったときです。ことごとく信じていたものに裏切られるというか、そういう国家というものの怖さを含め、ものを考えさせない教育の怖さなどというものをものすごく感じていたのだと思います。当時の父としては、そこで生きるためにどちらにも自分を迎合させることができたと思うのですけれど、父はそれをしなかった。そういう意味で言ったら、どちらにもつかないというより、自分の価値観を持って頑張った人だと思うのです。
野中
少林寺拳法は自己確立を説いています。最初におのれを確立しないと他人にかかわることもできないと説いていることや、すべてを他人に依存するのでなくて、すべては自己の中に、自己を見つめて、自己の中によるべきものがあると言っています。多分、お父さんはそういうことを中国で実践されたということになりますか。
次のページ...

★新着記事