野中
愛しい人間に対して、自分が何もできなかったという、そのつらさですね。それからやっぱり、人間のつらい心に対して、それを感じる気持ちというか、他人の痛さを自分のものとして感じる気持ちというか。たぶん、戦争反対とか平和を求めるという、そこの原点には、そのような「人間の痛み」とか「悲しさ」に対する想像力みたいなものがあると思います。それは、由貴さんのお父さんだけではなくて、「戦争をしない」という思いや「人を殺したらいけない」という原点に、何かそういう経験というか、体験があることが多いと思うのです。由貴さんは、そういう体験をご自身が経験しているわけではないけれども、そのような価値観を持つようになったのは、やはりお父さんからそういう話を聞かされていたことが心に浸透していたのでしょうね。

父は、本当に繰り返し繰り返し、私に話を聞かせていました。ですから、ある部分、自分がそこにいるのではと想像ができるほど、話の詳細を覚えているのです。当時、私はもちろん生まれていなかったのですけれども。
野中
僕もいろいろな戦争の現場とか、そういったところに行って、戦争が人間のすべてを破壊してしまうということを見てきた経験があります。ですが、つらつらと僕自身を振り返って考えてみると、やはり僕も親父から戦争の話というのをすごく身近に聞いていた世代なのですね。
親父には男の兄弟が4人いました。一番上の兄貴は、敗戦のときにシベリアに抑留され、2年ぐらいシベリアにいたと記憶しています。それで帰ってきたのですが、よく覚えているけれども、身体がガリガリに痩せていてね。復員してからもガリガリのままでした。抑留時代のことは一切話さなかった。親父もそのときの話は余り聞いていない。後になって、一番上の兄貴の友達とかから、その当時の様子というのを漏れ聞いたのですが、とてもつらい体験だったという話を聞いて…。彼は一生ガリガリのまま死んでしまったわけなんですよね。
親父の2番目の兄貴は、やはり中国で戦死しています。戦死したときの状況というのを当時の戦友から聞いたのですが、ものすごい激戦だったということです。とにかくずっと地べたにはいつくばらないと弾に当たりそうなほど激しかったと。親父の兄貴は、戦闘の最中にちょっと頭を上げてしまい、弾が当たって死んじゃったそうです。
3番目の兄貴は、パイロットでした。戦争末期は練習機といっても整備が十分ではなくて、結局彼は、練習機の墜落事故で死にました。それで、4番目が僕の親父になるのですが、親父は徴兵されたんだけれども、結局まだ若いということで、外地に行く前に敗戦になったということです。
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