野中
そうね、逆立ちしていたら頭を吹き飛ばされていたからね。
宗
そう、だから逆立ちしていなくてよかったと言ったあの一言。笑いながら普通に言っていることが、彼らにとってみたらそういう中で生きてきたというか、生まれ育って、それが全てなんですよね。
野中
それはもう地雷を踏んだり、それからたまたま弾に当たって死んじゃったり、ひょっとしたら盲腸だって死んじゃうかもしれないよね。ちょっとした病気だとか、マラリアだってたくさんあるしね。だから人が死ぬということも、それは特殊なことじゃないし……。
宗
だから生きていること自体が運がいい、という感じでしょう。
野中
運がいい、そうそう。自分が死ぬ側に回っても不思議じゃないし、たまたま自分は生き残っているけど。そういう何というか、死生観というかな。またそういうふうに死というものに対しても、それはある種の運命というか、そんな大層なことじゃなくても、たまたま何かの拍子にポコって死んじゃうんだよとかね、別に特別なことがなくても、そのキャンプの周りを歩いていて地雷を踏んじゃったらすぐに死んじゃうし、そういうことはよく起こるんだよ、というような、もう死ぬということは当たり前という感覚は、やっぱり死というものをなるべく遠ざけていくという、この日本の社会の中で生きていると、それは全然違うよね、感覚というのがね。
どっちがいいとか、どっちが悪いという話ではないんだけれども、ただ日本に生きている人たちの感覚というものは、人間が痛みを伴いながら死ぬということだとか、死ぬことに対しての痛みとか悲しみとか、そういうものに対する想像力が社会にどんどん欠けていっているという、そういう実感はものすごく僕の中にもあるんだよね。だから、死がやたら怖いものだとか言う必要はないけれども、しかし、どうして、そういう人間の苦しみとか悲しみとか、そういったものがどうして実感を持って受けとめられないのか、という疑問はありますね。
(続く)
少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第1回
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