マオイストの夫婦とコルチャバン村へ
(写真右:コルチャバン村ハンニンで開かれた“ジャナバディ・メラ”開会式で演説をする“サンバト”。襲撃で右手を失った。)
ガルティガウン村に着いて3日目の朝7時、私は同行者の日刊紙記者ウダヤ・ガルティ・マガルと、マオイストの“サンバト”、そしてもう一人の女性マオイストを伴った4人でコルチャバン村に向かった。この女性マオイストは、人民解放軍東師団の指揮官“アナンタ”ことバルサ・マン・プンの妹で、サンバトの妻だった。

2人には小さな子供が一人いるが、子供を実家に預けて、フルタイムで党の活動をしている。マオイストの夫婦はそれぞれ別々の地域で活動することがほとんどで、ごくたまにしか会える機会がないと聞いている。この2人も久しぶりに会ったような気配が感じられた。サンバトはコルチャバンの先にあるコトガウン村の出身だ。あるいは、彼が新しい任地に移動する前に、2人で子供に会いに行くところなのかもしれなかった。

(写真右:“メラ”を見に来たマガル族の民族衣装姿の女性)
サンバトの右腕は義手だった。ロルパ郡にある警察詰め所を襲撃した際に、撃たれて切断したのだという。サンバトが、村の家々で毛糸を編んで作られるバッグを左肩から下げているだけであるのに対して、“ルンギ”という長い腰巻姿の妻は、背中に重そうなリュックを担ぎ、さらにもう一つのバッグの紐を頭にかけて黙々と歩いていた。

夫の分の荷物も彼女が運んでいるようだった。私とウダヤが歩きながらサンバトと話しをしているあいだにも、彼女が口をはさんでくることはなかった。サンバトの後ろから山道を歩いていると、濃紺のジャンパーの下から、肩から紐で吊る下げた皮製の入れ物にピストルが入っているのが見えた。

「どこで手に入れたのか」と聞くと、サンバトは「ゴラヒ襲撃のときに奪ったものだ」と話した。“ゴラヒ襲撃”は、マオイストの人民戦争のなかで転機となった襲撃だ。2001年11月23日深夜、マオイストは最初の停戦を一方的に破棄して、ロルパ郡の南に接するダン郡郡庁所在地ゴラヒにある軍兵舎と警察署を襲撃した。このとき、マオイストは軍兵舎から大量の武器と銃弾を強奪している。この“戦利品”をロルパに運ぶのに、彼らは10数台のバスやトラックを使ったと言われている。
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