現在のパレスチナの状況はイスラエルの侵攻のため、家屋破壊や封鎖で社会そのものが破綻している状況だ。アラファト議長の死によって、パレスチナ問題は48年の難民となった世代では解決できず、次世代に残されようとしている。

アラファト議長がその人生の大半をパレスチナ闘争に費やし、パレスチナの存在を世界に知らせ、イスラエルと闘い続けてきたことは大きな功績だった。しかし彼が、権力に固執せず、ウンム・オマルのような現実に苦しんでいる人々とともに歩み続けていたなら、もっと早くパレスチナ国家を実現する道が開けていたかもしれない。

アメリカやイスラエルのいうように、アラファト議長の死が、即、和平への道につながるとは思えない。一時的な混乱は避けられないと思うが、国家建設という最終目的のためにパレスチナ人の抵抗は終わることなく続くだろう。どんな過酷な状況になっても闘い続ける人たちだから。
(写真 古居みずえ 野中章弘)

アラファト議長が3年近く監禁された、ラマラ議長府(2004年)
2003年春から壁建設が始まり、第1期工事は昨年の7月末に終わった。(2004年エルサレム近郊)
現在の壁建設は、ラマラ、エルサレム、ヘブロン周辺で進んでいる。(2004年エルサレム近郊)
第2次インティファーダ(パレスチナ人の反占領闘争)の指導者、イスラエルの獄中にいるマルワン・バルグーティ氏が議長選の有力候補者とされている。(2004年エルサレム近郊)
パレスチナに帰還したアラファト議長(1994年7月 ヨルダン川西側ヘブロン)
2004年5月半ば、イスラエルの侵攻でおよそ200軒の家屋が破壊された。(ガザ地区ラファ)
イスラエルの侵攻は日常茶飯事だ。前日、7軒の家が壊された。(2004年ガザ地区ラファ)
5月半ばのイスラエル軍の侵攻で、60人以上のパレスチナ人が犠牲になった。(2004年ガザ地区ラファ)
犠牲者の中には、子どもたちの姿が目立つ。(2004年ガザ地区ラファ)
イスラエルが撤退した朝、恐る恐る壊された壁から覗く子どもたち。(2004年ガザ地区ラファ)
壁建設に反対するイスラエルとパレスチナの女性たち。(2004年エルサレム近郊)
アラファト議長は、アラブの最後の英雄と言われる。(ヨルダン川西岸ラマラ)

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