自衛隊派遣から半年 サマワの現実と幻想 前編
自衛隊はサマワで何をしているのか。「人道復興援助」活動の実態をルポ。

12月14日、自衛隊の派遣期間の1年延長が決まった。大野防衛庁長官などのサマワ視察を受けた小泉首相の決断だった。しかし、イスラム教シーア派の反米指導者ムクタダ・サドル師系の宗教指導者は、「多国籍軍である以上、占領軍であり、町から撤退すべきだ」と語り、「撤退しなければ別の種類の抵抗に変わるだろう」と警告。香田証生さんを殺害した武装組織「イラク・アルカイダ機構」も日本を非難し、敵対姿勢を強めている。
イラク情勢が泥沼化する中、「人道復興支援」という名目で派遣された自衛隊はいったい何をしているのか。7月にサマワを訪れた綿井健陽の報告をお届けしたい。(APN編集部)
***************************

【月刊「論座」(朝日新聞社)04年9月号掲載記事から転載】
文中のデータ・登場人物の肩書きは今年7月取材当時のまま。
内容の加筆・修正はしておりません。
***************************

陸上自衛隊が派遣されてから半年を迎えるイラク南部の街サマワ。7月4日午後2時、真昼の気温はゆうに50度を超えている。今年4月以来、3カ月ぶりに訪れた午後の市内は閑散としている。車も人の姿も極端に少ない。中心部の商店街は長い「昼休み」に入っていた。店のシャッターが再び開き始めるのは午後5 時ごろだ。そして、午後8時を過ぎても残る陽の光の中、街は朝に続いて2度目のにぎわいを見せる。

目抜き通りの一角には、熱射と砂埃にさらされながら、季節はずれのこいのぼりが、いまなおいくつか空を泳いでいる。陸上自衛隊が地元に寄贈したそれを、商店街の人たちは英語で「ベイビーデイ・フィッシュ」と呼んでいた。

そのこいのぼりとは対照的に、街で自衛隊員の姿を見つけるのは困難だった。通りを歩く住民に聞いても、「最近は人も車両も見かけない」という。久しぶりに日本人の姿を見かけたからなのか、通りを歩いていると「ヤバン、ヤバニ(日本、日本人)?」と何度も声をかけられた。だが、自衛隊がサマワでいま何をしているのかは、彼らもよくわかっていない。多くの人は「実際に見たことはないが、給水や道路補修をやっていると聞いた」というレベルにとどまっている。

日の丸給水車と「おいしい水」
サマワの北約40キロにあるアブ・フセイン地区では、約150世帯が、1日おきに届けられる自衛隊宿営地からの給水を待っている。給水車が到着すると、バケツを手に子供たちがたちまち集まってきた。

しかし、宿営地内の給水現場では立ち会う自衛隊員も、末端の供給場所であるこの村には姿を見せない。 (写真右:バグダッドやイラクのほかの地域と同じく、主権移譲後もサマワの街の様子はほとんど変わっていない。大通りは、クウェートからバグダッドに向かう米軍の物資や装甲車を積んだ長い車列が、頻繁に行き来する。その対向車線には、日の丸の入った給水車の姿があった。)

カーデム・アベドさん(22)ら10人家族が暮らす家には、水をくんだバケツが何度も運びこまれる。自衛隊員が誇らしげに語る「サマワで評判のおいしい水」。だが、アベドさんは言う。
「清潔な水が自分たちの生活する場所にちゃんと届けば、それでいい。運ぶのが自衛隊でも、イラク人でも関係ないです。1日おきにしか来ない給水車での配給だけでは十分ではない。いまは仕方ないが、ゆくゆく自衛隊は、この地区に上下水道設備を造ってくれると市の評議会は言っていた。自衛隊の後には、日本の企業がサマワに来るとも聞いているよ」
次のページへ ...

★新着記事