自衛隊員が直接かかわったのは......
サマワ郊外にある自衛隊の宿営地は、以前よりも警戒態勢が厳しくなっていた。宿営地入り口ゲート付近のコンクリートブロックの数は格段に増え、以前はできたゲートの写真撮影も「警備上の理由」で禁止されていた。3月ごろにはここを頻繁に訪れていた地元部族長や地主たちの姿もない。砂漠のはずれで、まるで蜃気楼のように、宿営地だけがゆらゆらとたたずんでいるようにみえる。
その宿営地の一角で給水活動は行われていた。午前7時半ごろ、日本政府が提供した日の丸入りの給水車が宿営地の中に入ってくる。

給水現場には四基の給水塔が設置され、そこに横付けされた10トンタンクの給水車に水が補給されていく。取材した7月6日の時点で、1日平均の給水車は 12~14台。量にして平均150トンほどだった。その後、給水量は徐々に増やされたが、それでも200トン前後がやっとだ(3月26日から始まったこの給水活動は、7月中旬までに総計1万3000トン以上になったという)。

給水現場で自衛隊員がかかわる作業は、給水車の誘導、運転手の身分証明書の確認、給水記録の作成、そして、給水栓を開閉するという作業だけだ。その自衛隊員の数は「およそ」5、6人。なぜわざわざ「およそ」という中途半端な表現をするのかというと、「安全上の理由から、それぞれの現場にかかわる具体的な人数は公表できないから」というのが広報担当者からの説明だった。

だが、実際のところ浄水・給水作業を合わせても、それに直接かかわる人数は1日数十人にも満たない。給水現場では周辺に装甲車を配備して、警戒態勢を取っているが、その警備にあたる人数は「およそ」でも公表できないという。給水現場の取材はもちろん、自衛隊員へのインタビューも、すべて広報担当者ががっちりと私の脇で「監視」していた。

この給水活動に関して、第一次イラク復興支援群長の番匠幸一郎・一等陸佐(46)は、産経新聞の取材に対して、以下のようにこたえている。
【質問】情勢が緊迫すると、宿営地にこもり、復興支援業務を中断した、という一部報道もあったが。
【番匠】「まったく事実と反する。"籠城"も中断もただの一度もない。給水も1日も休んでおらず、すべて予定通りに終わった。いくら説明しても誤報が流れ心外で悔しかった。(後略)」(産経新聞6月8日付)
実際の現場ではどうだったか。

給水活動に関して言えば、1日も休むことなく行われたことは確かだ。だが、それは自衛隊員が宿営地の外に出なくてもできる活動だったからに過ぎない。その水がどこで、どう配られているのかは、「ムサンナ県の水道局に任せてある」(サマワ自衛隊広報担当者)というだけで、その詳細は自衛隊側では関知しない。
道路・学校補修は7月22日現在、道路1カ所、学校2ヶ所が終了した。
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