「開祖と娘~人の痛みに対して麻痺が起きている」
(少林寺拳法グループ総裁・宗由貴と野中章弘(アジアプレス)との対談です)
宗
小泉さんの発言などもそうなのですが、そこに「人」というのを感じないんですよね。
野中
そうだよね、「人」というのを感じないよね。
宗
いろいろな人がそこにはいて、それぞれに喜びや悲しみ、そういうものが存在しているはずです。ですが、小泉さんにはそういうものが全然感じられないんです。
野中
そうなんだよね。これがやっぱり僕も一番気にかかるところ。政治的に云々という話ではなく、小泉首相や政治家たち、それからブッシュ大統領もそうなのですが、例えばイラク戦争について話をしているときも、一言もイラクで死んでいった人たちに対する悼みの言葉とか、謝罪の言葉とか、そういうものがまったくないのです。
宗
それにブッシュはその戦争遂行を決断した人でしょう。イラクの人だけでなく、米兵のイラクでの状況を考えたら、何で夏休みに入ったり、ゴルフができるの?と思うわけです。普通の人間だったら、それをやらせている本人が何でそんなことができるの?と、その感覚を疑ってしまうんですよ。
野中
そうなんですよね。彼らは、イラクを攻撃してたくさんの人が死んでも、それはやむを得ない、と言うけれども、そういう決断をしたという、自分も痛みを伴って決断をしたというものが感じられない。もし、そういう言葉があったとしたら、それは政治家としての決断としてある部分、理解できるところもあるとは思うのです…。しかし彼らの感性というのは、自分たちが決断したことによって、実際にたくさんの人が死ぬという、そういうことに対する責任とか、そのことについてのためらいとか後ろめたさとか、そういうものがほとんど感じられない。だからやっぱりどこか、感性がすごく平べったいというか薄っぺらいというか、そういうふうに感じてしまうのですね。
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