(写真右:旧ショクロー難民キャンプで勉強するカレン人避難民のこどもち。1993年当時、ビルマ・タイ国境には20近くの難民キャンプが点在していた。2005年1月現在、難民キャンプは5つほどに集約されている。)

難民キャンプ内ではこの2、3年、自分たちの生活、さらにはカレン民族の行く末を不安に思う人たちが表立って声を上げ始めた。これまでKNU幹部の顔色をうかがって発言していた人たちも、KNU幹部たちの指導力低下を、はっきりと嘆いている。
「自分たちの事は自分たちで考えなければならない」。そんな意識の現れのようである。ビルマ軍事政権に抵抗する最大勢力のカレン組織もまた、長年の戦闘の厭戦から結束力が弱まってきた。
私はこの数年、タイ・ビルマ国境に拠点を構えるKNUの幹部に毎度、同じ質問を繰り返している。

「今後の展開をどうするのか」
「我々はビルマ人の町に攻め入っているのではない。ビルマ人がわれわれの土地に、武力で入ってきているのだ。正義はこちら側にあるのだ。われわれは、最後の1人になっても闘い続ける。この抵抗闘争があと50年続いてもだ」
返事はいつも同じだった。

KNUの内部分裂を引き起こす要因はいくつもある。何よりも、KNU指導部自体が、国際社会の変動に見合った組織改革に抵抗している。次第に私は、KNUへの取材に対して意欲を失い始めていた。
そんな時だった。1986年から90年代前半まで、KNUの軍事部門KNLA(カレン民族解放戦線)に義勇兵として参加していたフランス人のF・ジョンに言われた。

「ボ・ジョー司令官に会わずして、今後のカレンを語ることはできないよ。KNLAの士官学校を出た唯一の司令官だし、まだ若い。おまえと同じくらいの年齢のはずだ。今後のカレンを背負う若いリーダーの最有力候補だ。カレンに見切りをつけるのは、彼と会ってからでも遅くないぞ」
何事も大げさに話をするジョンの話は、すぐに信じられない。

知り合いの元KNLA兵(55)を訪れた。彼は、筋金入りの元ゲリラ兵士で、ボ・ジョー司令官に詳しかった。
「そうさな、ボ・ジョーくらいかな、これから期待がもてるのは。ヤツはまだ若い。滅多に山から下りてこない。他のKNUの幹部連中は山を下りて、ほとんどタイ側に隠れ拠点を持っている。でも、ヤツはずっと山の中に籠もってカレンの村人と一緒に生活しているんだ」

KNLAは、大きく分けて7つの旅団で構成されている。現在の最強旅団は、最年長74歳のティーマウン司令官率いる第7旅団である。最若年のボ・ジョー司令官は30代後半。ボ・ジョージョの次に若い司令官は、62歳の第4旅団司令官のオリバー。同じく62歳の第6旅団の司令官ムトーである。勇敢で、頭の切れると言われるボ・ジョーが、今のカレンの状況、今後のカレンの状況をどう見ているのか、直接話をしてみたい。私は是非彼に会っておかねばと思った。
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