祭りはすでに始まっていた
いよいよ試合当日を迎えた朝、私は勇を鼓してスタジアムの様子を見に出かけることにした。
今日の試合のため、スタジアム直通のミニバスがテヘラン市街のあちこちから出ている。目印は運転手がイラン国旗を振り回していることだ。私が乗り込んだバスの運転手も、歩道に若者の姿を見ると国旗を振り回し、「スタジアムか?」と呼びかける。そうこうするうち車内はすぐ満員になった。
午前10時、スタジアム前では熱狂する若者を寿司詰めにしたミニバスが次々に到着しては、車内を空にして去っていく。
そこから少し離れたスタジアムまで、若者たちの途切れることのない人波が続く。道々にはタバコ、飲み物、ひまわりの種、国旗などの売り子が声を張り上げ、サンドイッチを売る屋台も数軒出ている。サンドイッチ売りの男の話では、スタジアムの門が開き、チケットの販売が始まったのが午前7時。一階席のチケット1万リアル(約120円)は 30分ほどで完売したという。2階席は、なんと今日に限ってすべて無料開放されているらしい。
そんなわけで、わたしはチケットを買うこともなくボディチェックのみでスタジアム内に入場した。ボディチェックはかなり入念で、わたしは100円ライターを有無を言わさず没収された。火気厳禁らしい。数ヶ月前の韓国との国際試合で競技中グランドの韓国選手の足元に巨大な爆竹が投げ入れられ、試合中止になったという経緯もあるのだろう。 ボディチェックだけでなく、警棒を構えた軍事警察が完全な警戒網を敷いている。ときおり調子に乗った若者たちが彼らを挑発し、警棒で追い回されている。小競り合いを遠くから眺めていると、通りすがりの若者があきれたようにぼやいた。
「日本にあんなのあるかい?見ろよ、国民を警棒でぶちのめして……」
そうは言っても、彼らがいないと今日という日が無事に終わるのか甚だ不安である。
スタジアムの2階席に上がると、まだ10時過ぎにもかかわらず、フリーの2階席はほぼ埋まり、そればかりか、すでにサポーターたちは太鼓を打ち鳴らし、早くもウェーブが観客席をぐるぐると巡っていた。そして、日本人が座ることになる区分がゴール裏1階席にぽつんと小さな空白のように残っている。全座席の10分の1にも満たない。
イラン人席をうろついていると、さすがに目立ったが、昨日同様とりたてて敵意や危険を感じることはなかった。わたしに気づくと、「俺の隣りに座れ!」と場所を開けてくれる人も何人かいた。しかしこれから始まるのは演劇やコンサートではない。サッカーだ。わたしの身の安全が保証される場所は、あのゴール裏の隔離された狭い空間だけなのだ。
昼前、押し寄せる人波をかきわけ、一旦スタジアムをあとにした。