この現実を直視したい
厚木基地の爆音被害は、基地周辺の住民にとってだけの問題ではない。沖縄や神奈川をはじめ、日本各地にある在日米軍基地がもたらす爆音や墜落事故、米兵の犯罪、有毒物質汚染など様々な基地被害は、日米安保条約による日本の安全保障や日米同盟の維持といった大義名分のもと、基地周辺の住民にしわ寄せされている。

そうした基地被害が住民にしわ寄せされることを、日本政府は日本の安全や日米同盟のための「やむをえない被害・犠牲」と見なしているのではないか。それを日本人の多くも漫然と受け入れ、あるいは無関心でいるのが現状だと思われる。

しかし、基地周辺に住む人たちに被害のしわ寄せを強いたまま知らぬ顔の、そんな日本社会であっていいのだろうか。むろん、基地を日本全国に分散させればすむという問題ではない。在日米軍そのものの存在を根本から考え直し、すべての基地を無くす方向に目を向けるべきではないか。

戦後60年間にもわたって、日本に米軍が大規模な基地を置きつづけ、さらに米軍再編によって基地機能を強化し、居座りつづけようとしている現実と、それを日本政府が安易に認めている現実を直視したい。
米軍はベトナム戦争や湾岸戦争、アフガン攻撃、イラク戦争など、日米安保と何の関係もない他国での戦争に、在日米軍基地から出撃してきた。後方支援のための基地として使い、戦争のための訓練にも利用してきた。そんな基地を維持するために日本は多額の税金を費やし、アメリカの戦争に協力し、加担してきた。米軍によって殺され、傷つけられる人びとに対して間接的に加害者の側に立ってきた。その現実を直視したい。

そして今、イラクやインド洋で自衛隊による米軍支援が続いている。日米共同訓練・演習も増加し、自衛隊と米軍の連携は強まっている。日本の政財界やマスコミでは、憲法九条を変えて自衛隊を軍として位置づけ、集団的自衛権の行使もできるようにすべきだとの声が高まっている。

このような動きがエスカレートし、もしも日本が海外派兵して米軍とともに武力行使をするような国になったら、他国の人びとを殺傷する米軍と同じ行為に手を染めることになる。米軍機が爆撃で殺人と破壊を繰り返しているのと同じことを、日本の軍用機がおこなう事態も起きかねない。まさに戦争の直接の加害者にまでなってしまうだろう。

しかし、そんな時代を迎えてもいいのだろうか。厚木基地を飛び立つ血塗られた米軍機の横に、もしかしたら起こりうる悪夢のような事態を想像して、戦争に出撃する自衛隊機の機影を思い描くとき、「厚木基地の滑走路はイラクに通じている」という言葉が一層重い意味を持って迫ってくる。

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