3 《ボイコット派のねらい》
こうして役者が揃い、5月25日、イラン全土で8人の候補による選挙運動が幕を開けた。テヘランには各候補の選挙本部と、主だった広場に選挙事務所が設置され、運動員は夜陰にまぎれて交通標識や公共施設にまでポスターを貼り始めた。テレビや新聞各紙でも投票日に向けた選挙企画が始まった。
しかし、国民の関心度は、ラフサンジャニ師の危惧を裏付けるものだった。
「投票?なんのために投票するのさ。もしするとしても投票用紙に横線一本引いて出してやるよ」。
市街の警備にあたっていた徴兵の若者は吐き捨てる。
「どいつもこいつも嘘つきさ。せめて俺だけは嘘つきになりたくないからね」
投票に行かないという人には、単なる無関心層と、積極的投票拒否者の2種類があった。後者はノーベル賞受賞者シリーン・エバディ女史をはじめ、人権活動家などが呼びかける投票ボイコットに賛同している。曰く、国民の信託を受けていない機関、役職がこの国の主権を握っている現状で、力のない大統領を選んでも意味がないというものだ。彼女たちの指す機関、役職とは、先に挙げた護憲評議会であり公益評議会であり専門家会議(選挙で選出されるがイスラム法学者に限られる)であり、国軍最高司令官(最高指導者により任免)、司法長官(最高指導者により任免)であり、また最高指導者自身(前途専門家会議で選出)である。
しかしそもそも、この国の統治理念が国民主権ではなく、神権統治であるということを理解しなければならないだろう。忽然と姿を消した第12代目イマームの再臨を待つ間、神の代理として聖職者がこの世を統治すべしというのが故ホメイニ師の革命思想であり、現在のイラン・イスラム共和国の根幹を成している(イランの国教であるイスラム教シーア派は、預言者モハムマドの血筋を重視し、モハムマドのいとこで娘婿のアリーを初代イマームとし、彼の直系を代々イマーム職として崇めてきた。
イマームは11代目まですべてが暗殺され、多数派のスンニー派に対する反権力、反体制の象徴となった。10世紀半ばに12代目イマームは忽然と姿を消したが、それは人間には感知できない存在と化しただけであり、いつかこの世の悪を駆逐するため「再臨」すると信じられている)。
積極的ボイコット派は、選挙での投票率を低下させることで、この国の統治者が国民の支持を得ていない、つまり合法的な統治者でないことを内外に明らかにし、国連をはじめとする諸外国に圧力をかけやすくし、最終的に国民主権を取り戻すのがねらいである。そこまでの事態に至らなくても、低い得票率で当選した大統領では、核交渉その他の席で欧米諸国に足元を見られる。ラフサンジャニ師がしきりに高い投票率と得票率にこだわるのはそのためだ。しかし、国営メディアの呼びかけにもかかわらず、国民の関心はいまだ高まる気配を見せなかった。(つづく)