イラン革命から26年。これまでの改革路線を踏まえ、イラン国民は何を想い、何を選択したのか。イラン在住の大村からのイラン大統領選挙ルポ。

支持者に囲まれるキャルビ候補。内務省選挙本部での立候補登録で

1 《選挙戦のハードル》

6月15日、テヘラン市街中心部にあるテヘラン大学スタジアムで、改革派のモスタフィ・モーイン候補(56)の集会が開かれた。

モーイン候補は、かつてハタミ政権で科学技術相を勤めたが、ハタミ政権の保守派への妥協的な政策に抗議して辞任している。自由と民主化、男女同権、政治犯の釈放、そして憲法改正にまで踏み込む急進的な改革派として、現体制に不満を抱く階層から支持を得ている。

イランの人口構成は25歳以下が5割、30歳以下ともなると7割を占める。1979年のイラン革命を知らず、革命の理念などどこ吹く風の若者にとって、政教一致のイスラム体制は窮屈なものでしかない。モーイン候補の選挙戦はこうした若い世代をターゲットに得票を伸ばそうとしていた。

スタジアムの周囲は交通規制が敷かれ、治安部隊や警官が厳重な警備にあたるなか、支持者が列を成してスタジアムへと向かう。若者、特に女性の姿がやはり目立つ。モーイン候補の選挙スローガン『ふるさとよ、もう一度おまえを建設する』の鉢巻を締めた支持者で2万5千人収容のスタジアムは徐々に埋まりつつあり、これからサッカーの試合でも始まるかのような熱気につつまれていた。投票日を二日後に控え、これがモーイン候補の最大にして最後の選挙集会である。ここまでにいたる道のりは決して平坦ではなかった。

イランの選挙でしばしば取りざたされるのが護憲評議会の資格審査である。護憲評議会とは、国会から選ばれた法律家6人と最高指導者(現在はアリ・ハメネイ師)の裁量で選ばれた聖職者6人、計12人で構成される評議会で、国会で承認された法案をイスラム法に照らし合わせて審議し、それを拒否したり、国会に差し戻す権限を持つ。

また、各種選挙の立候補者の事前審査も行い、信仰心や現体制への忠誠度の如何によって、その立候補資格を剥奪する権利も有する。2004年の第7回国会選挙では80名以上の現職改革派議員の立候補資格を剥奪し、その結果多くの改革派議員や改革を支持する国民が選挙をボイコットして保守派が「大勝利」したことは記憶に新しい。

そして今回の第9代大統領選挙も例外ではなかった。5月10日から14日にかけて行われた立候補申請に全国から1014人(内女性89人)もの届出があったが、護憲評議会の審査に通ったのはわずかに6人、そのなかにモーイン候補は含まれていなかったのである。

審査を通った6人のうち改革派の候補者は、保守派に妥協的との批判もある前国会議長のメフディ・キャルビ師(68)だけで、あとは前大統領アキバル・ハシェミ・ラフサンジャニ師(71)を除けば保守派で固められていた。改革派陣営から批判が噴出したのは言うまでもない。モーイン候補を推薦した改革派最大政党イラン・イスラム参加戦線は、モーイン氏の立候補資格剥奪の根拠を早急に示すよう護憲評議会に強く要求した。

こうした批判を受けて、翌23日、ハッダード・アーデル現国会議長が資格審査の再考を護憲評議会に促すよう、最高指導者アリ・ハメネイ師に嘆願。ハメネイ師の指示を受け、24日、護憲評議会はモーイン氏とモフセン・メフラリザーデ副大統領(49)の2名に選挙戦出馬資格を与えることをしぶしぶ承諾したのだった。

モーイン氏の出馬資格剥奪がハメネイ師の鶴の一声で覆された背景には、国民に失望感が広がるのを食い止め、これ以上の投票率悪化を防ぎたいとのラフサンジャニ師や一部の当局者の思惑があったものと思われる。しかし、このモーイン氏の復活劇が、のちのち改革派陣営に取り返しのつかない痛手をこうむらせるのである。
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