5 《キーパーソン》
選挙活動が始まる以前から、イランでは政党や新聞社、NGOなど様々な機関が世論調査を行い、立候補者の支持率を測ってきた。その結果はおおよそ似通ったもので、首位はラフサンジャニ師、2位を保守派のカリバフ候補と改革派モーイン候補が僅差で競うというものだ。
しかし、首位のラフサンジャニ師が支持率30パーセントを越えることはなく、イランの大統領選挙では過半数の得票率がなければ当選できないことから、本番では1位と2位の決戦投票になるだろうと前々から予想されていた。
保守派のなかで抜きん出た人気を博しているカリバフ候補は、警察関係者は政治活動を行えないという法律により、警察長官を辞任して立候補に及んだ。長官在任中は警察のイメージ改善に努め、イランで初めて婦人警官を採用している。いかなる派閥、政党にも属さず、右でも左でもない『実践主義者』であると自称。最有力候補であるラフザンジャニ師との対決姿勢を立候補当初から明確にしている点など、他の保守系候補者と一線を画してきた。
カリバフ氏もモーイン氏も、一次投票でラフサンジャニ師に勝つ見込みは薄い。しかし、決戦投票に及んだ場合、両者ともラフサンジャニ師の得票を上回る可能性が十二分にあった。というのは、決選投票になれば保守派700万の組織票がカリバフ氏に集中するの確実で、それに彼自身の人気票を加えればラフサンジャニ師を凌駕することも不可能ではない。モーイン氏の場合は、最初の投票をボイコットした層が決戦投票では重い腰を上げ、彼に一票を投じる可能性が高い。
ある学生はモーイン氏への投票動機をこう語った。
「モーインははっきり言って大統領の器じゃない。どうせラフサンジャニが当選するよ。でも僕はモーインに入れる。ラフサンジャニに高い得票率で当選してほしくないんだ。だっておかしいと思わないか? 国会選挙で最下位ギリギリで当選したやつがどうして大統領になれるんだ?」
ハタミ政権の改革が保守派の抵抗で実らなかったため、モーイン氏の改革路線にも懐疑的な若者は多い。それでもラフサンジャニ師よりは「マシ」と考える人はもっと多いに違いない。
そのラフサンジャニ師は、選挙を意識してか最近めっきりリベラルな発言が多くなった。ニューヨーク・タイムズのインタビューに対しては、『イスラムの教義では、本来個人の生活の領域にまで踏み込んではいけない。人々の生活の秘密まで暴いてはいけない。人々は心の安寧と安全を感じ、追求できるというのがイスラムであるべきだ』と答え、AFPに対しては『衛星放送ともインターネットともたたかうことはできない(衛星放送合法化やネット検閲に言及したもの)』と答え、イランでも大きく報道された。
いつしか改革派寄りの新聞はラフサンジャニ師を保守派候補とは離し、改革派候補の写真と同列に並べるようになっていた。
もっとも彼の発言を鵜呑みにするほどイラン人はお人よしではない。イラン学生通信のインタビューで『国民はあなたのことを大富豪だと思っているようですが』と訊かれ、『わたしはコム(テヘラン南部の宗教都市)に小さな土地を持っているだけですよ』と平然と答えるタヌキぶりである。
ただ、彼の経験と政治手腕だけは認めるという人は多い。自身のテクノクラートで石油省などを押さえているラフサンジャニ師は、地下資源開発や老朽化した石油施設のメンテナンスに対する外資の導入に積極的で、その点では経済自由化を求める改革派とともに、外資導入を嫌う保守派に対抗してきた。
イラン経済は石油収入に頼りすぎており、そうした構造から脱却すべきなのは言うまでもない。しかし、その石油収入さえアメリカのイラン・リビア制裁法によって危機的状況を招いている。自国の技術だけでは油田開発は進まず、アメリカ製のパーツ無しでは老朽化した石油施設も修繕できない。そのため自国内で必要な石油まで精製する余裕がなく、原油を海外に売って、精製されたものを買っているという現状だ。
アメリカの制裁は、イランへの航空機や部品の提供も禁止しており、日本やヨーロッパ諸国もアメリカ市場での制裁を恐れ、右に倣えを決め込んでいる。そのためイランは、老朽化した旅客機などの保守点検を海外で行い、闇市場での部品調達を余儀なくされている。国内線の航空機事故は多く、ハタミ大統領はこうしたアメリカの制裁措置は無辜な国民の命を奪うものだと強く非難している。WTOへの加盟申請も5月26日にようやく始まったが、これも過去9年にわたり23回もアメリカの拒否にあって実現しなかったものだ。
アメリカとの関係改善は、ラフサンジャニ師だけでなくほとんどの候補が政策のひとつとして挙げているが、欧米側が交渉相手と見込んでいるのはラフサンジャニ師ただ一人だろう。
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