決戦投票前、路上集会で激論を交わすラフサンジャニ支持者とアフマディネジャード支持者

9 《希望の灯》
22日、日刊紙「シャルク」は決戦投票を翌々日に控えたその日の朝刊で、改革派支持派に街へ出て議論しようと呼びかけた。開始は夕方6時、場所はテヘラン市街の5つの広場が指定された。

ヴァリアスル広場ではほぼ時間通り、6時過ぎから人が集まり始めた。どこかで議論が始まると周囲に人垣ができ、その人垣の誰かと誰かがまた議論を始める。あちこちに10人程の人垣が自然に生まれ、それを見た通行人がまた集まり、いつしか広場の東と西にそれぞれ500人は下らない群集が出来上がっていた。

「シャルク」紙が紙上で呼びかけたのはラフサンジャニ師とモーイン氏の支持者だけだったが、そこにはほぼ同じ数のアフマディネジャード支持者までが集まり、さらに議論をエスカレートさせていた。公式な政治集会ではなく、新聞社が呼びかけた、広場という公共スペースでの自由集会だからこそ成り立つ光景なのだろう。互いにまったく思想の違うもの同士が、いたるところで、誰はばかることなく自分の信条、国の将来について話し合い、思いを吐露している。それは感動的な光景だった。

外国人である私を見つけて話しかけてきたのは21歳の学生だ。

「僕は一回目の投票には行かなかったけど、決戦投票は行くよ。アフマディネジャードが大統領になったら26年前に逆戻りだからね」

24歳の新聞記者の女性も真剣な顔で言う。

「あたしはアフマディネジャードが本当に怖い。ラフサンジャニは大嫌いだけど、最悪よりはマシな選択だわ」
それを聞いた青年が返す。

「静かで、穏やかな生活が一番じゃないか。僕は宗教と伝統を大事にしたい」

夜9時を過ぎても激論集会は終わらなかった。始めるのも、終わらせるのも、人々の意思である。今日の集会が終わっても、今日の日のようなイランがずっと続いていくことを祈りたい。

24日、決戦投票が行われ、翌日開票結果が明らかになった。
総投票数27,959,254票 投票率56%
マフムード・アフマディネジャード 17,248,782票 得票率61.6%
アキバル・ハシェミ・ラフサンジャニ 10,043,489票 得票率 35.9%

アフマディネジャード政権は9月より始動する。

26年前、故ホメイニ師が弱者、被抑圧者の救済を掲げて立ち上げた革命政権は、その翌年のイラクのサダム・フセインによるイラン侵攻で急遽戦時体制を余儀なくされ、革命の理想は置き去りにしたまま8年の戦争に突入した。戦後の復興を終え、体制が安定した今こそ革命の理想をよみがえらせようというのがアフマディネジャード氏の本意であるなら、それは興味深い試みである。4年後の選挙が答えを用意しているだろう。(おわり)

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