ところが2年前、村の小学校がビルマ軍の焼き討ちに遭った。子どもたちは安全のため、タイ側の難民キャンプに住み込んで、キャンプ内の学校で勉強を続けるようになった。彼女は自分の孫に会うため時々、サルウィン河を下り、タイ側のキャンプ時々渡っていく。
カレン語「ホロークロー」という名のサルウィン河は、また、違う歴史をカレン人に与えようとしている。モンゴルからサルウィン河を下ってきたかつてのカレンの歴史。しかし今また、確定してしまったタイ・ビルマ国境線を下るカレン人がいる。彼女もまた、歴史の一部として、ビルマ軍に迫害されながらも、ビルマ側からタイ側へ移っていく運命を背負っているようだ。
歴史書には残らないが、抵抗する歴史と流される歴史がここにもある。
付記:
2004年1月初め、ビルマとタイの国境の町でボジョーと再会した。久しぶりに山から降りてきたようであった。戦争がやむまでは結婚しないと言っていた彼であったが、前年カレン人の女性と結婚していた。その意味は、翌週分かった。
ビルマ軍政と公式な和平交渉をするためにラングーンへ向かう交渉団の一員として彼も含まれていたのだ。だが、2005年5月現在、キンニュン首相失脚で中断してしまった和平交渉に暗雲が立ちこめている。ビルマ軍がカレン州に何度も攻撃を仕掛けているのだ。大きな流れでは停戦に向かわざるを得ないが、劣勢状態を維持しつつ、KNUは今後、ビルマ軍政に対してどういう対抗措置を講ずることができるのだろうか。