私はなぜ北朝鮮を脱出したのか (5)
一部に、北朝鮮で起きたこの(90年代後半)社会パニックは、自然災害などによる食糧生産量減少に原因があると主張する"食糧不足説"がある。
もちろん、これも一般的には、現象に対する理論的または分析的な見解の一つになるかもしれない。
だが、私は経験によって、全面的にこれを否定したい。
餓死すること、違法行為をすること、コチェビになることは、社会的にみるとまさに強要であった。
どんな研究調査によっても、コチェビあるいは脱北者になることを、自然災害によって個人が選択したとはみなせないだろう。
次の二つの事実はパニックの"食糧不足起因説"を明確に否定している。
第一に、北朝鮮は食糧に対する国家独占配給制度を94年まで長年維持実施してきた世界唯一の国だ。
一般的に、戦争や災害によって食糧が不足した時、国家が一時的に運営する非常時の制度が、まさに配給制である。これは誰もが皆知る常識である。
北朝鮮の建国以来続いた配給制の実施自体が、90年代の一時的な'食糧不足説'を否定している。
数字的には、すでに70年代から全国で、15日ごとにある配給から2日分の配給量を厳格に削減していた。
即ち、全国所要供給量の13%以上が不足している事態を国家が認めて、強い緊縮政策を執行してきたのである。
その深刻性は、金日成国家主席自らが"農業司令官"になって食糧増産に立ち上がり、「ご飯を食べる者ならば、すべての者を農作業に動員すべし」を義務化した"主体農法"政策を実施するほどであった。
一般的に1年の4か月間は、全国ですべてが農村に集中動員された。住民の移転も、農村への一方向にだけ厳しく制限され、都市住民を系統的に農村に強制移住させた。
生産者である農民ですらも、穀物だけは配給制に束縛された。購入経路のいかんを問わず、穀物2重受給(各自が国家供給規定量以上をえることを意味する)は、銃殺刑に該当した。
それほど厳重に制定され、管理されていたのたが配給制なのである。
在日朝鮮人の訪問団が来ても、彼らが消費する食糧分は特別に海外同胞迎接総局が食糧政策総局に依頼しなければならなかった。
仮に、このような国家食糧政策制度が、変わらず健全に機能していたならば、たとえ予想外の災害によって食糧生産量の不足が生じても、農民市場に売り出すほどの個人が米を隠匿備蓄することはとうてい不可能だし、また独占物資である穀物の自由販売現象を許すこともなかったであろう。
また、餓死者が発生し、また軍人が栄養失調で廃人になるようなことは絶対起こらなかっただろう。国際支援による復旧効果も、どの国のケースより迅速で能率的に現れただろう。
第二に、食糧の不足でパニックが発生したと見ては、「首領も"金日成民族"も存在しなかった」とする、現実否定の立場に陥ってしまう。世界が目撃しショックを受けたように、首領の死亡で受けた北朝鮮と人民の打撃は甚大だった。
今でも亡くなった首領が"永生"するとしている北朝鮮の認識からも分かるように、金日成の死は、その死亡を否定したり、あるいは自らの人格が喪失されたりするほど衝撃的だったので、全社会の一時的混乱、あるいは制度が崩れたといっても、それは歴史的にも世界的にも何の不思議もないことだろう。