黄さんは日本料理が好きで、よくいっしょに食べに行った。ベッド脇の机にはやはりカップの味噌汁がおいてあり、とにかく食事がね、と顔をしかめ、ちょっと買い物を頼むのもチップを要求されるとぼやく。

060303-13.jpgここで一か月の費用が日本円にして約八万円。年金も手当もない台湾では、当然大きな負担となる。いつまでもここにいられないし、いたくもない、と黄さんは言う。

しかしエレベーターも女手もない家に戻るのは至難のはずだ。
かつてお国のために命と青春を捧げてくださったこの老婦人に、我々日本人はなにもしてさしあげることはないのだろうか。

*写真は黄玉緞さんの出征時のもの。上の手紙は面会後に送ってきたもの。次のように記されている。「面会有り難きかな。面会後の乏しき夕餉。かぼちゃと甘栗クッキー。

格子なき牢獄 何時の日かかへる 我が宿に 晴 3/6」。甘栗クッキーは私の手土産。
*黄玉緞さんの物語は「保健師ジャーナル」2004年6月号に掲載。

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