私はなぜ北朝鮮を脱出したのか(8)
(前回から続く)
思わず、自分の<境遇>を忘れてしまった私は、その女の子と一緒に同僚の家へ向かった。彼女によると、母親が商売に出たまま家に戻らず、すでに半月が過ぎたのだという。
家財という家財をすべてを売った家は、鍵も掛かっておらずガランとしていた。
"父さんはどこに行ったの?"
"市場でコッチェビをしています。"
まだ10才にしかならない幼い娘を、自力で生きよとばかりにほったらかして、自分だけ生きることに専念しているこの夫婦に、私は怒りを禁じえなかった。だが、実は、私にも生きていく術がないのである。
私は、自分の家族をすべて他人に押し付けた無能で、低能な者に過ぎないのであった。
私自身、すでに三食続けて食べていない状況であった。だが、どうしようもないからと、この少女をそのまま置いて行けるだろうか。
私には家すらないのだが、靴や服は持っている大人として、(はだしの彼女に)履物の一つでも買ってあげないままでは、とうてい別れることはできそうになかった。
<良心>というものはそのように執拗なのだ。
そんなときに考えが及んだのが、古い機械式のセイコーの腕時計であった。
安い電子時計が出回り、日本製のセイコーも貴重品では無くなったが、時刻表示の機能だけでも価値はあるだろう。私には時刻表示はあまり意味がなくなっていたが、忙しい人々には必要かも知れない。
私はジャンマダン(闇市場)へ向かった。その少女も私の後をついてきた。
区域に一つしかないジャンマダンに通じる道は、入り口の手前数百メートルから、道の両脇に二列に露天が立ち並んでいて終わりが見えないほどだ。
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