姉の清美は、イサオは自分の人生そのものでしたと、語る。友人たちは、この二人の無垢の愛にひきつけられるように、彼らの家を訪れた。精進落としの宴がはねるとともに、姉と弟、二人三脚の長い歩みが止まり、台東の青い空に一陣の春風が吹きぬけた。
私は台湾の友人の多くがお年寄りで、ご葬儀に参列する機会が多い。このたびはもっとも年齢が若く(私自身より四つ上)、重く哀しい別れとなったが、実に爽やかな式典でもあった。日本から寄せられた香典が三十件以上、参列した日本人が六人、箸一本で生きた一人の原住民青年は、実に僅かなあいだに我々を魅了し、鮮やかにこの世を駆け抜けて、天空の彼方へと去っていったのである。
写真説明(上から)
1.葬儀風景 2.その姿からキツツキ人と呼ばれた 3.二人三脚の人生を歩んできたイサオと清美 4.その人懐っこい笑顔に多くの人が励まされた
*二人の人生については、日本のメディアでも幾度か紹介されている。さいきんでは、2006年3月7日朝日新聞朝刊「シリーズ民族」no5として。また「保健師ジャーナル」2005年12月号に拙著「脊髄損傷を乗り越えて 台湾先住民姉弟の二人三脚」。
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