写真: あっさりと甘い桑の実は初夏の風物詩
テヘラン中央部のエンゲラーブ広場でピザ屋を営むフサイン氏は、官製メディアの情報統制に縛られない意見を持っていた。
それは、彼の置かれた特殊な環境がそうさせたものなのかもしれない。
「イランの核開発の権利?ま、誰に聞いたって『必要だ、権利がある』って言うだろうな。けど本当は内心どうでもいいと思っているはずさ。核エネルギーがあっても国民1人1人の生活はたいして変わりはしないよ」
≪代替エネルギーとしては?≫
「そもそも石油の輸出による利益は国民の懐には入ってこない。核エネルギーによって国内の石油消費を抑えて輸出に回したところで、どうせその利益も一部の人間が分捕ってしまうさ」
≪電気代が安くなったりはしませんか?≫
「さあね。そんなことより頻繁に起こる停電をなんとかしてほしいよ」
≪アメリカの攻撃の可能性は?怖くはありませんか?≫
「正直。怖いとか、僕の場合、そういう次元じゃないんだ。戦争になったら即前線に出なければならない。それはもうどうしようもない義務なんだ。あとは、残された家族や子供たちへの心配。それだけだ」
フサイン氏はすでに11年前に兵役を終わっているが、予備役兵として登録されているため、有事の際はすぐ召集がかかる手はずになっているという。
イランでは、毎年10万人近い若者が2年間の兵役義務に就くが、そのうち体力その他で非常に秀でた者は予備兵役として登録されるという。
≪アメリカの侵略に対して戦うという気持ちは?≫
「防衛戦がいつも正しい戦争とは限らない。戦争はしょせん、国のトップ同士が始めるものさ」
イランを取り巻く情勢は、この1ヶ月でずいぶんと変わった。
国際情勢の追い風に乗って、イランは近隣諸国や中国、そしてロシアとの関係をさらに強化してゆくことだろう。
軍事、エネルギー政策では、ロシア、中国、中央アジア諸国で構成される上海協力機構へのオブザーバー参加が決まっており、また地域間の経済交流ではイスラム南西・中央アジアのASEANとも呼ばれるECO経済協力機構で、正式メンバーとして活動を活発化させている。
1979年のイスラム革命以降、西側世界とも共産主義陣営とも対峙し、革命の輸出を恐れた中東諸国からは疎まれ、世界の異端児を地で行ってきたイランだが、冷戦構造が崩壊し、中露の台頭とアメリカの衰退を機に、今、少しずつ世界の中で自らの地位を築きつつあるように見える。
核問題という国家の一大事が一転、孤立主義から協調外交へと重心を移すきっかけとなるなら、アメリカの圧力もある意味、功を奏したと言えるかもしれない。
おわり